[ 連載 ]

読みたいから書く!

第10回 彼に速度の愛あらば、我に密度の愛あり

2017年6月4日

 

 勝手ながら、今回で最終回とさせていただくので、豪華4点盛りで掉尾を飾りたい。取り上げる本は渡辺京二『さらば、政治よ 旅の仲間へ』(2016年、晶文社)、小沢信男『東京骨灰紀行』(2009年、筑摩書房。その後2012年にちくま文庫に収録されたそうだが、以下同書からの引用頁数はハードカバー版)、そしてともに樋口毅宏の『さらば雑司ヶ谷』(2012年、新潮文庫)と『雑司ヶ谷R.I.P.』(2013年、新潮文庫)だ。前の2冊を同時に取り上げるについては、著者ふたりの本になじんでいらっしゃる方々にはなんとなく意図が分かっていただけると思う。だが、あとの2冊は、樋口毅宏についてまったくの白紙状態という方なら「樋口毅宏っていったいだれ?」とお思いだろうし、この人の作風をご存じの方なら「なんのこっちゃ」とあきれるだろう。

 そこが読書という作業のおもしろいところで、どういう本をどういう本と食べ合わせても、下痢も嘔吐もしない。いや、精神的にはするかもしれないが、生理的にそうはならない。その安全な作業をなるべく危険なものにしてみたいというのが、長年書きつづけてきたベテランおふたりの身辺雑記や紀行文と、若手のバイオレンス小説を組み合わせた今回の狙いだ。たんにタイトルが「さらば」や「安らかに眠れ」を示唆する本を列挙しただけでないことは、保証する。

 『さらば、政治よ 旅の仲間へ』――世界は江戸革命を待っている

 今や、80代半ばという渡辺京二が、長年住みつづけた熊本で大震災に遭遇し、さまざまな日常生活の困難を乗り越えて、新著を刊行した。それが『さらば、政治よ』だ。最初、変換ミスで敢行と書いてしまったが、それがミスと言えないほどの壮挙で、心からお祝いしたい。当然のことながら、この最近刊の著書にも随所に鋭い指摘が見られる。たとえば、こんなふうに江戸時代後期の町人と武士の実際の力関係を示したくだりだ。

 いわゆる切捨て御免的なものも、やろうと思えばできたわけですが、やったら、取り調べられて後が大変なんです。よほど理由がないと、かえって武士が処罰されますから。なので、侍が町人から侮辱されても「どうだ、抜いてみろ、抜けまいが」と言われるような、そういうような状況でした。(同書、72頁)

 美空ひばりはまだ少女のころからかわいそうなほどおばさん顔だったが、その美空ひばりがこの歌を歌うときだけは、妖艶かつ凄絶な美人に変わるという歌がある。米山正夫作詞作曲の『関東春雨傘』だ。その中の「抜けるもんなら 抜いてみな、斬れるもんなら 斬ってみな、さあ さあ さあさあさあさあ」という胸のすくような啖呵は、決して庶民の夢の表出ではなく、戦争がほぼ完全に一掃された時代の武士の立場を、事実として表していたのだ。

 また、川路聖謨(かわじとしあきら)という幕末の有名な能吏がいました。長崎でプチャーチン艦隊を応接した人です。勘定奉行などをやった人ですけど、この川路聖謨も小さいとき町の子に塾の行き帰りに泣かされて泣吉(なきち)って仇名が付いたそうです。(同書、75頁)

 そして、川路聖謨のような幕末の俊秀たちは、たんに能吏だったばかりか、人情味もあった理由が、小さいころはいじめられっ子の泣き虫だったという事実から推測できる。体制が危なくなってきた幕末動乱期でさえ、他国であれば当然の仕事を有能にこなしただけの鳥居耀蔵のような人間が「妖怪」と呼ばれ、川路聖謨のほうは、「ユーモアのセンスがあって、しかも誠実な人間」と外交交渉の相手であったプチャーチンやゴンチャロフに褒めたたえられていた。これは中国の科挙官僚にも、イギリスのインド高等文官試験及第者にもなかった、徳川幕府の官僚たちの特徴だ。私も、売名欲の権化のような子どもを育ててしまった勝小吉や当人が売名欲の権化になってしまった福沢諭吉より、吉良の仁吉や川路泣吉のように生きたい。

 渡辺京二は、江戸時代の実勢についての把握が鋭いだけではない。そこから、現代世界がこうあるべきだという姿も引き出してくる。

 日本人というのはいろんな細かい点では非常にオリジナリティがある。生活文化でも。しかし、大きなシステムをつくるとか、大きな思想をつくるとかいう能力はない。(同書、96頁)

 これからの世界がどうなるかを考えると、これは日本人にとってかけがえのない無形の財産だ。日本人は中国から律令制度を輸入しても、インドから仏教を輸入しても、当人たちは大まじめに忠実に再現しようとしているのに、できあがったものは本家とはまったく別ものとなっている。つまり、テーマを与えられるとどんなに頑張って楽譜どおりに演奏しようとしても、自然に即興(インプロビゼーション)になってしまうのだ。

 なぜそれが利点かと言えば、これからの世界はあっちからあれを借り、こっちからこれを借りという借りもの競争になる。しかも、ゴールはどこにもないようでもあり、どこにでもあるようでもある、あいまいきわまるゴールだ。ようするに、自分たちが「ここが居心地のいい場所だ」と思ったころを、勝手にゴールと決めればいいのだ。そして、もちろん、この借りもの競争には、大思想も大システムも要らない。もう過不足なく行きわたり、満ち足りているからではなく、大思想や大システムこそ諸悪の根源だったからだ。

 人間が理想社会を作ろうとすると、どうしてもその邪魔になる奴は殺せ、収容所に入れろ、ということになるからです。古くはキリスト教的な千年王国運動から、毛沢東の文化大革命に至るまで、地獄をもたらしただけでした。だから、『国家』で理想社会の実現を謳ったプラトンがそもそも間違っていたんです。政治とはせいぜい人々の利害を調整して、一番害が少ないように妥協するものです。それ以上のものを求めるのは間違っているんですよ。(同書、123頁)

 そして、もちろんだれがこの「たくまざる即興の積み重ね」としての借りもの競争で居心地のいい世界を築くのかについても、渡辺京二は的確なイメージを持っている。

 僕は最初に言った、エリートでない方の日本人、「誰とでも取替えが利くような存在」だと自分でも思ってしまっているような人たちに、むしろ未来があると思うんです。(同書、126頁)

 非の打ちどころのない現状認識だと思う。だからこそ、当人が「私は国を憂えたり、未来を憂えたりしない。そんなことは識者に任せておけばいいんです」(同書、129頁)という主張にそぐわない論点がふたつあることを、指摘しないわけにはいかない。

でも、戦争をできたほうがいい理由は?

 第I部「時論」の冒頭を飾り、本書全体のタイトルにもなっている「さらば、政治よ 旅の仲間へ」の論旨には、どうにも違和感がぬぐえないところが多々ある。

 「最小限の軍隊を保持することも、その軍隊が国連の決議に従って海外で活動することも、ことさらいとう必要はない」(同書、26頁)とある。だが、今さら軍隊を保有していることを認め、世界に「海外派兵もできるようになりました」と宣言することで、日本国民にとっていったいどんな得があるのだろうか。全巻を通読しても、得になりそうなことは何ひとつ書いていないのだ。わずかにそれらしいことを言っているのは、以下2か所だけだ。

 日本は米国の世界戦略のために、基地も金も提供しているのだから、それで義務は果たしている、米国艦船が攻撃されたからと言って支援するまでの義理はないという人もいる。まあ、それは米国国民に向けて言ってもらいたい。彼らが納得するかどうか。(同書、16頁)

 しかも、国連軍の軍事行動というものがある。これに何らかの形で参加して、軍事的リスクを引き受けるのは、加盟国として回避できぬ義務だ。当国は憲法上そういうことはできぬことになっとりますと言うのは、私だけは聖人でいますから、必要な犯罪はあなた方で引き受けて下さいと言うのとおなじで、卑怯で利己的な言い分である。(同書、17頁)

 つまり、日本が「はい、ふつうの国になって、これからは戦争もいたします」と方針を変える利点は、アメリカへの義理立てと、他国に対して「卑怯で利己的な国だ」と思われずに済むというだけのことなのだ。アメリカに対しては、「我々はあなた方の強力なお勧めのとおり、戦争放棄をいたしました。そうしたら、ムダな軍事費も節約でき、余計な国際紛争にも巻きこまれず、大変この憲法が気に入っております」と答えればいいのだ。今さら、アメリカに「それでは国の独立が保てないじゃないか」と反論されたら、「じゃ、貴国は日本を半永久的に植民地か属国として支配するために、戦争放棄をお勧めになったのでしょうか」と再反論すればいい。

 スイスが永世中立国になった経緯をご存じだろうか。2つの説があって、多数派は「1815年にナポレオン戦争を収拾するためのウィーン会議で、フランス、オーストリア・ハンガリー、プロイセンというヨーロッパ大陸の列強のどの国にとっても、スイスに中立でいてもらったほうがありがたいということで、スイスに押しつけたのが起源だ」とするものだ。少数派はそれからさらに300年さかのぼって、1515年にスイスの傭兵集団が結束してマリニャーノという場所でフランス軍と戦って惨敗し、「今後はフランス国王の許可のもとにフランス軍の一翼を担って傭兵として戦争をする以外には、独立国の軍隊として戦争に参加してはならない」という屈辱的な講和を余儀なくされたことにある」と主張する。

 ご注目いただきたいのは、どちらのケースも永世中立は決して自主的に選んだ道ではなく、押し付けられた状態だったという事実だ。そして、スイスは「押しつけられた平和はいやだから、なんとかふつうの国になりたい」などという無意味な体面のために人命も労力も浪費せず、「はいはい、それでは戦争はいたしません」と言いつづけて、ヨーロッパ大陸中央部が主戦場となった2度の世界大戦にもほとんど国土を荒廃させられることなく生き延びてきた。今や、世界中でも1人当たり国内総生産がトップクラスの富裕国になっている。スイスは決して資源が豊かなわけでも、気候に恵まれているわけでもない。中世には輸出するものと言えば、ヨーロッパ各国に傭兵として派遣する成年男子の血のみという、情けないほど貧しい国だった。

 それが、鳩時計や精密腕時計の流行は過ぎ去り、「匿名口座」という銀行業界にとっての打ち出の小づちをアメリカに責め立てられて放棄しても、世界最高レベルの1人当たりGDPを維持している。自国を戦場としないことには、それだけの実利があるのだ。他国に「卑怯だ」とか「利己的だ」とか思われるのを気にするより、世界各国に「スイスや、第二次世界大戦後永世中立を宣言したオーストリアや、憲法で戦争を放棄した日本のマネをしたほうが得だ」と思われるようになればいいではないか。

「物書きは地方に住め」という主張こそ、政治的な発言だ

 そして、時論篇の3番目の文章には「物書きは地方に住め」というタイトルがついている。「東京に住んでいる職業的な文筆家は、みなてんでに気に入った地方都市に移住したらどうか。一歩進んで農山村に住んでみたらどうか」(同書、41頁)というご託宣である。どうやら、渡辺は「物書きはどこに住んでいてもできる仕事だ」と思いこんでいるらしい。「山や森や海に会いたければ、ちょっと車を走らせるとよい。私の大好きな南阿蘇へは、何と40分で行ける」(同書、42頁)そうだが、物書きならだれもが山や森や海に会えば執筆活動が進むという考えは、いったいどこから来たのだろうか。

 人間、趣味や嗜好はさまざまだ。私は短時間ですばらしい自然と会えることを愛する、いわば速度愛を持った人たちに、「大都会の雑踏の中に住め」などと命令口調で言う気は毛頭ない。だが、夜昼の区別もなく得体の知れない人間たちがうごめき、世界中のさまざまな地域の民族料理が大散財もせずに気楽に食べられる、日本の大都会から離れてまで、自然に会いに行きたいとはまったく思わない。この密度を愛しているからだ。

 渡辺によれば「物書きにとって、人工化されていないコスモスを日ごろ感受できるのは本質的に重要なこと」(同書、42頁)なのだそうだ。ご当人にとってはきっとそうなのだろう。だが、自分にとって真理であれば、日本中の物書き全員にとってそうであるに違いないという心情は、すでに神がかり一歩手前だ。あるいは、もう神がかりになってしまっているのかもしれない。

 「地方分権とか、地域の活力回復とかがジャーナリズムの話題になるのは、そういう危機感が私一人のものではない証拠だと思う」(同書、41頁)という主張は、たしかに事実だ。だが、こういう主張をいまだにしているひとたちは、どれだけ長いこと都会を不自由で住みにくい場所にし、地方に人を集めようというムダで人間の本性に逆らうプロジェクトで失敗を続けてきたかについて、あまりにも無知だ。田中角栄の日本列島改造論に始まって安倍晋三の経済戦略特区にいたるまで、利権政治の中核にデンと居座る集団を肥え太らせるだけで、それ以外には何のメリットもない政策の連続だった。

 たとえば、列島改造論のカギとなった「工業等規制法」、「工場等規制法」によって、首都圏や近畿圏では大規模工場と大学校舎の新増設はまかりならぬということになった。若者を都会に呼び集めてしまうのは、けしからんという論理だ。結果は、首都圏・近畿圏の中小零細工場の成長をすさまじく抑制した。そして、都心のキャンパスが手狭になった大学は、東京の地名で学生を集めておきながら、遠く離れた郊外のキャンパスに通わせるという詐欺まがいの学校運営を余儀なくされただけだった。利権の温床が生まれ、継承され、肥大化した以外には、何ひとつ地方経済の活性化には貢献しなかった。

 人間が便利なところに住みたいと思い、不便なところからは去っていくのは当然の行動なのに、政治の力でこの自然な流れをせき止めようとするから、こういう無残な失敗が続くのだ。これは「人工化されていないコスモスを日ごろ感受できるのは本質的に重要なこと」というような、当人が思いこんでいるだけの空念仏ではない。第二次世界大戦後、数十万人、数百万人の人たちが自分の行動で立証したことだ。人口が減少している自治体がこの流れを押しとどめたかったら、自分たちの努力でよそに移住する人を引き留め、よそ者に住みつきたいと思わせるような魅力のある地域に変える以外の方法はない。

 日本国民は今のところ、自分の住みたい場所に住むという自由を持っている。もちろん、財布と相談の上でだが、それは何につけても同じことだ。そして、アメリカのように大都市中心部に住むのは独力で家族の命を守る資金のある大金持ちと、ほんのわずかに残された公共交通機関にすがりつかなければ生きていけない貧乏人だけになってしまったわけではない。パリのように、新参者はバンリューという殺風景な郊外に押しこめて、3代、4代と続いたパリジャン、パリジェンヌだけが優雅できらびやかな都に住む特権を維持しているというわけでもない。

 だれでもそこそこの家賃を払えば、駅まで徒歩5~10分、そして駅からは1~2度の乗り換えで首都圏中ほとんどどこへでもたどり着け、自分の気まぐれの数だけ衣食住の選択肢があるという環境を維持できるのだ。ひと様がこのぜいたくな環境を捨ててどこか別の場所に行きたいとおっしゃるのを引き留める気は毛頭ないが、自分から放棄したいとはさらさら思わない。「○○はみな、××しろ」という言い方はきわめて政治的なものだ。まして、人間だれしもなるべく自分の趣味嗜好にあった生活をしたいという本性を持っている以上、それに逆らう号令をかけるとなれば、強大な権力を行使しなければ実現不可能だろう。

 渡辺自身は安倍改憲論に賛同する立場が、いかに不人気かを心得ているようで、あとがきで「叩かれることには免疫ができているが、さぞかしまたやかましいことだろう。私としては最低言っておかねばならぬことを言っただけだが、この手の発言もこれでもう打ち止めにしたい」(同書、235頁)と書いている。だが、「物書きは地方に住め」という発言のほうが、安倍改憲賛成論などよりずっと政治的な、しかも本気で実現しようとしたら、強権を発動するしかない発言だという自覚はなさそうだ。

そしてなぜか、東京墓場めぐりの旅に出てみた

 「墓場めぐりなんて、なんと辛気臭い」とお思いだろうが、小沢信男の『東京骨灰紀行』はなかなか読ませる本だ。まず、両国から出発して両国に戻る東京都心から郊外の墓場を回る各章の章立ても、しゃれた地口の章題もいい。たとえば「つくづく築地」「ぼちぼち谷中」といった具合だ。そして、古くは樋口一葉、永井荷風から、比較的最近亡くなった植草甚一や今もバリバリ活躍している荒木経惟まで、いかに大勢のユニークな人々が歩いて通えるような距離に密集して生まれ育ってきたかが分かる。

 なお、植草、荒木のご両所に加えて、チョイ役で出てくる平田禿木――「英文学の蘊奥はさておき、樋口一葉のボーイフレンドだったのを、はるかに羨望して合掌。」(本書、21頁)――や、本書には登場しないが小林信彦・泰彦兄弟、テリー伊藤、アルフィーの坂崎幸之助までふくめると、東京下町の老舗商店のお坊ちゃんたちに共通する傾向が浮かび上がってくる。まず、まったくお坊ちゃんらしくない。体制側と言うよりは反体制、非体制側だ。東京を立身出世の踏み台にしようと押しかけてくるような連中はうっとうしいが、そいつらを排除しようなどという野暮なまねはしない。大事件があったら、やじ馬としては参加するが、まちがっても主役を張って大見得を切るなんてことはこっぱずかしくてできない。

 こういうひとたちのほんの一部としか時間を共有できなかったが、空間を共有できていると思うだけでうれしい。そして、発見もある。艶福家には本宅と妾宅があるように、永井荷風ともなると本墓と妾墓があるのだ。まず千住浄閑寺墓地には、以下のとおりいかにも格式ばって、もし荷風が化けて出たら、「こんなのやめてくれよ」と言って妾宅にしけこみそうな大仰な墓がある。

 ふりむけば永井荷風の墓。本堂の裏壁に沿った大谷石の塀に、黒石4枚を小屏風のように嵌めて、長い床面の、枕のあたりに畳紙(たとう)をかたどる筆塚。愛用の小筆と、歯が2枚納めてある由。(吉原の遊女2万5000人を祀った――引用者注)総霊塔のまん前に、2万5千の霊と添い寝の意気とみえます。(同書、58頁)

『東京骨灰紀行』文庫版

 場所としては、遊女の遺骸が投げこまれていたと言われる浄閑寺の境内は、当人の望みどおりだった。だが、ここまでごてごて飾り立てられては、いたたまれない思いだろう。その点、雑司が谷墓地の永井家墓域には、「……石の高さ5尺を超ゆべからず。名は荷風散人墓の5字を以て足れりとすべし」(同書、同頁)という指示をほぼ忠実に守っている。すなわち、「『永井荷風墓』の5字で高さ5尺ほどの墓がある」(同書、同頁)というわけだ。

 この墓場めぐりの旅について、ふたつ不満がある。ひとつは、アメリカ国民の心情について、あまりにも甘いことだ。関東大震災のときの義捐金についての以下の引用をお読みいただきたい。

 1国の首都壊滅のニュースが世界を走り、われらの日本がこんなに万国の同情をいただいたのは、たぶん空前で、目下は絶後ですね。アメリカの救援が列国を桁外れに抜いて、義捐金が邦貨換算6860万円。復興予算の1割にあたった。(同書、226頁)

 この気前のいい友愛の国を相手に、18年後に戦争へ突入しようとは!(同書、227頁)

 アメリカの支配階級を形成するアングロサクソン系白人プロテスタントの連中は、自分たちが優位に立っているという確信があるときには、寛大にもなれる。だが、必ず寛大になるとは限らない。まちがっても自分たちが負ける心配がないと分かっている場合、たとえばアメリカ先住民の部族に対する戦争のときには、情け容赦なく女子どもまで虐殺した。開戦当時の日本国民に欠けていたのは、アメリカが気前のいい国だという認識ではなく、自分たちが圧倒的な優位に立ったら、敵国の民間非戦闘員まで無慈悲に虐殺する国だという認識だった。

 渡辺京二(1930年生まれ)は、小沢信男(1927年生まれ)のように手放しでアメリカ礼賛はしていない。だが、旧ソ連体制下から現代にいたるロシア人の窮状に関心を寄せ続けたような意味で、アメリカの一般庶民の境遇を思いやる気配はない。おそらく第二次世界大戦にいたる過程から大戦中、東アジア・東南アジアの国々にかけた迷惑に対する贖罪意識からだろうが、この世代の人たちには、大日本帝国陸海軍を壊滅状態に追いやって、悪い夢を見ているような状態から日本国民を覚醒させてくれたアメリカという国に対する見方が好意的になる傾向があるようだ。

 もちろん、いまだに「日本は東アジア・東南アジア諸国に迷惑をかけたことなどない」と言い張る連中に比べたら、はるかにまっとうなスタンスだ。だが、現実にアメリカの一般大衆がいかに悲惨な暮らしをしているかという視点がまったく感じられないのは、彼らの現代世界を見る目に大きな欠落をもたらしている。

 ふたつ目は、不満と言うよりは、私の地元愛からの苦情のようなものだ。なぜ、「増資が嫌な雑司ヶ谷」とか、「雑司ヶ谷地獄草子」とかのタイトルで、雑司ヶ谷霊園の章を立ててくれなかったのだろうか。

というわけで、雑司ヶ谷4部作の第12

 雑司ヶ谷は、副都心池袋駅から徒歩12~13分に位置しながら、まるで30代以下立ち入り禁止の結界でも張られているんじゃないかと思うほど、ふだんは中高齢者の多い、ひなびた田舎町の風情を持っている。いかにも神社仏閣、そして霊園が町の中心となるにふさわしいたたずまいだ。

 この霊園には数多くの著名人が眠っている。夏目漱石、泉鏡花、永井荷風、川口松太郎といった文豪に、画家では竹久夢二、村山槐多、東郷青児。俳優では大川橋蔵、川口浩と野添ひとみ夫妻。その他にも東条英機、ジョン萬次郎、六代目尾上菊五郎など錚々たる顔ぶれがここに葬られている。(『さらば雑司ヶ谷』、17頁)

 著者である樋口毅宏が、かつて『ブブカ』という雑誌で虚実の境目をつい踏み越えてしまうスキャンダラスな方針の辣腕編集者だったことをご存じない方なら、このまま地元民ならではののんびりした観光案内を期待されるかもしれない。だが、もしそういう心構えで読み進んだら、度肝を抜かれること請け合いだ。こんな物静かな情景描写は、全編で3~4箇所しかなくて、あとはハードバイオレンスとかなりどぎついセックスシーンの連続なのだ。おっと、もうひとつあった。なぜか唐突に、小沢健二談義が入りこむ。

 「……タモリが狂わないのは、自分にも他人にも何ひとつ期待をしていないから。そんな絶望大王に、『自分にはあそこまで人生を肯定できない』って言わしめたアーティストが他にいる?」(同書、61頁)

 フィクションにおける著者と読者の関係は、野球のバッターとピッチャーのようなものだと思う。順番をまちがえているわけではない。読者がピッチャーとして投げてきた球を、著者がバッターとして打ち返すのだ。時間的には逆に感ずるが、読者は四方八方のマウンドから、石ころ、リンゴ、手りゅう弾、こんにゃく玉、ありとあらゆる球を、豪速球やらクセ球やらで投げこんでくる。その芯には、「お前の紡ぎだす幻想の世界になんか、入ってやらないよ」というメッセージがこもっている。著者は球筋を見極めて見送るべきは見送り、ストライクゾーンに来た球は打ち返さなくてはならない。

 そう考えると、樋口毅宏は私という読者=ピッチャーに対して、2ストライクを取られた状態でバッターボックスに入っている。プロレスとかK1とかの、どう考えてもアマチュアでは成立しないタイプの格闘技と、小沢健二に大変造詣が深いそうだが、私はどちらにもまったく興味がない。にもかかわらず、第一打席の『さらば雑司ヶ谷』では手堅くシングルヒットを打ち、同じように2ストライクを取られた状態で入った第二打席の『雑司ヶ谷R.I.P』ではみごと右中間に三塁打を放った。バイオレンス描写でも、『レザボアドッグス』や、結局は水嶋ヒロの最高傑作となった『ドロップ』のような映像なら喉が渇くことはあっても、筆一本でどんな誇張表現でもできる文章で喉が渇くことはないと思っていたのに、ちゃんと喉が渇いていた。

 第1巻の『さらば雑司ヶ谷』では、のちに主人公、大河内太郎が教祖から2代目を継ぐことになる、いかにもうさん臭い新興宗教団体、泰幸会の生い立ちは、まだ語り出しにとどまっている。だが、日本が陥っている閉塞感の根源を、大正から戦前・戦後の怪しげな新興宗教が乱立した時代と現代とのひんぱんなフラッシュバックで解き明かそうという、第2巻『雑司ヶ谷R.I.P.』の着想がいい。

 「日本を鎖国の迷妄から解き放ち、文明世界に引きずり出してやった」と自負しているアメリカの支配階級から見て、明治末期から大正、戦前にかけての日本の世相がどんなに剣呑に見えただろうかと想像してみよう。彼らは、自分たちがどんなに徹底的に一般大衆を食いものにしているかは十分わきまえているし、大衆が暴発しないのはキリスト教倫理のタガをはめているからだということも承知している。一方、世界中に日本の支配者ほど大衆を食いものにすることにかけて拙劣で非効率な連中がいるとは思いもしない。

 信仰心らしきものは持っているらしいが、特定宗教への帰属意識が極端に欠けている日本の大衆にも宗教的規範のタガをはめてやらなければ、いつ日本各地に暴動が頻発するかもしれない危機が迫っていると思ったことだろう。また、正規のキリスト教諸宗派の布教活動がはかばかしく進捗していないことも知っている。となれば、日本各地に雨後のタケノコのごとく生まれていた新興宗教の教祖の卵たち数人を手なずけて、なんとか日本の大衆を「善導」してやるのは、日本を開国させた自分たちの崇高な任務だと思ったとしても不思議はない。

 彼らの「日本宗教化作戦」は、二段階戦略だったはずだ。第1段階としては、当初は神道か仏教の亜種として出発したはずの教団が、いつのまにかキリスト教の1宗派となっている。つまり、教団ぐるみの隠れキリシタン作戦だ。もし、それではやはり信者の大部分が離反しそうなら、第2段階として、教義は神道でも仏教でもその2つのごたまぜでもいいが、大都市圏では手足となって動く下部組織にまで利権の恩恵が行きわたらないので退潮を続ける保守党に代わって、清廉な印象で不満層を引き付ける宗教団体系の政党をつくらせる。

 ようするに、「あんなに高邁な理想を掲げる宗教団体系の政党が、なぜあれほど露骨に利権集団化した保守党に唯々諾々と追従しているのか」と思うのが、まちがいなのだ。もともと、地域コミュニティの崩壊した大都市圏で、宗教団体の集票能力を発揮させて保守党永久支配を補完させるというのが、日本に疑似反体制の新興宗教団体を育て始めたころからの、アメリカの思惑だったと考えると、いろいろな問題が腑に落ちてくる。そして、4部作となるはずの雑司ヶ谷シリーズは、第3巻『雑司ヶ谷1Q94』、第4巻『雑司ヶ谷完結編 三浦寿嶽を高く吊るせ』がそういう方向に展開してくれるだろうという期待を持たせてくれる。

 固有名詞を与えた登場人物には、主役、脇役、端役、それぞれの重要性に応じた見せ場を作ってやる人の立て引きも、長編小説処女作とは思えないほど手際がいい。だが、『さらば雑司ヶ谷』の結末近くで一度だけ落っこちそうになった。それは、往年の天才少年で精神障害によって知的能力が劣化してしまったしんやに1000万円を詰めこんだ「ボストンバッグ」を渡してやるというシーンだ。

 たまたま億単位の現金のやり取りに立ち会ったことがあるから感じるのかもしれないが、1万円札100枚に帯封をした100万円の札束は、あっけないほど軽くて小さい。それを10個重ねても、マチの付いたA4封筒なら余裕で入ってしまう。たとえシリーズ番号を記録されたりしていることを警戒して1000円札ばかりで1000万円集めたことにしても、10万円の札束100個に過ぎない。スーパーのレジ袋で十分対応できるカサだ。

 そこで、著者はこの失態をどう取り返すのか、意地の悪い興味津々で第2巻を読み進んだ。すると、冒頭付近で「臨時の葬儀が開かれた。出席者は俺ひとり。遺影はない。木端微塵になったため遺体もない。本人の所持品はただひとつ、ボストンバッグだけ。2年前、俺が日本を離れる際にしんやにあげた1千万円が手つかずのまま残されていた」(『雑司ヶ谷R.I.P.』、23頁)ときた。

 話の接ぎ穂ならいくらでもありそうな中で、わざわざボストンバッグいっぱいに詰めこんだ1000万円を選んだのは、「読者のみなさん、この大ボケは決して忘れておりません」というメッセージだろう。そこから話は3分の1ほど進んだところで、新興宗教の創設者、大河内泰から2代目を継いだ太郎が古参幹部を粛清する場面に入る。人里離れたリゾート地に、支部長ばかり約100人を集めて、こう言い放ったのだ。

 「アタッシュケース1個につき、1億入っている、好きなだけ持っていけ。これは帳簿に乗らない金だ。……そしてこれを受け取ったら、おまえらは家族の待つ屋敷に帰れ。愛人宅でもいい。支部長室に戻る必要はない。一切はこちらで処分する。そしてきょうここに集まったことや話したことは一切、口外無用とする」(同書、149頁)

 そんなはした金には目もくれなかった最古参の3人は殺されるわけだが、その前に約100人の支部長たちが組んずほぐれつで1個1億円の詰まったアタッシュケースを奪い合ったというところが肝心だ。どう考えても、くたびれ果てたお父さんが家族全員の着るものを詰めて、空港内をゴロゴロ曳いて歩くスーツケースのように大ぶりのものであるわけがない。小型かせいぜい中型だろう。つまり、著者は「第1巻では札束のカサも知らずにトンチンカンなことを書きましたが、今は1000万円でも1億円でも、どの程度の量か分かって書いております」と言っているのだ。論文なら愚直に訂正すべきところだが、フィクションでそれをやっては身も蓋もない。ベストの解決だろう。

 ほかのふたりにも、ふたつずつ注文を付けたから、樋口毅宏にもふたつ付けておこう。ひとつは、第1巻で中華人民共和帝国をあっさり叩きこみ、第2巻で悪戦苦闘の末、大日本帝国をなんとかねじ伏せた著者だからこその頼みだ。第3巻では体力を温存しながら、ロシア=ソ連=ロシア連邦帝国を肩透かしか蹴たぐりで片づけ、最終巻ではぜひ最強最悪のアメリカ帝国に挑んでほしい。蟷螂の斧で惨敗してもいいから。ご当人は小説家引退を宣言してしまったようだが、引退宣言直後のインタビューで、覆面レスラーとしての復活もありとほのめかしている。現在は専業主夫として子育てに没頭しているらしいが、なあに「親はあっても子は育つ」のだ。しかも急速に。ぜひ復帰して第3巻、第4巻を書き上げてほしい。

 ふたつ目は、直前の高揚感までは描いているが、お会式そのものはまだ登場していないので、ぜひとも3~4巻のどこかで描写してほしいということだ。たまたま池上本門寺のすぐそばに住んでいたころは軽快でダンサブルなリズムだなと思っていたお会式囃子が、雑司ヶ谷ではなぜかくも暴力衝動、破壊衝動に満ちたものになるのかの考察も、ぜひお願いしたい。

 私見では、これは1833年にさかのぼる因縁話だ。将軍の位を降りてからも大御所として君臨した絶倫男、徳川家斉が1833年に、最愛の側室、お美代の方の実父である日蓮宗の僧侶、日啓のために、上野寛永寺、芝増上寺に勝るとも劣らない広い寺域を持つ目白鼠山感応寺を建立させた。今ではJR目白駅からちょっと北西の閑静な住宅街で、徳川黎明会や徳川ビレッジといった徳川家ゆかりの施設が散在しているあたりの広大な土地だ。

 だが、この感応寺は、建立後10年も経たない1841年にパトロン家斉が没するや否や、日啓の女犯の罪を口実に跡形も残さないほど徹底した取り潰しに遭い、日啓は獄死という末路を迎えた。それに引き換え、女犯の相手だったはずの奥女中はひとりもおとがめなしという、政治的意図の見え透いたお裁きだった。そして近在のお会式は大刹、感応寺から、雑司ヶ谷という小さな町の、そのまた町はずれの小さな寺、法明寺に移管される。これが、日本全国でも珍しいほど破壊衝動に満ちた雑司ヶ谷のお会式囃子の起源だろう。だが、もちろん樋口には別の考えもあるだろうから、読んでみたい。

 はなはだ勝手ながら、冒頭でもお伝えしましたように、今回を持ちまして最終回とさせていただきます。ご愛読いただいた方々には心よりお礼を申し上げます。