[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

第12回 『アレンとドラン』 (麻生みこと・講談社)

2017年5月16日

 

 田舎から東京の大学に進学した林田(リンダ)。単館系の映画を好むサブカル女子の彼女は、思う存分映画を楽しめる環境で趣味に突っ走るあまりか、大学では少し浮きがちな存在だ。ある日、SNSを通じて知り合った趣味の仲間と直接会うことになるが、相手は「教養」をひけらかしてくるおじさんで、あげく襲われそうに。

 そんな彼女を助けてくれたのは、アパートの隣人のイケメン・江戸川だった…!

 痛たたたた。いろんなことが、心にささって痛すぎる。

 本作は「ちょっと風変わりなラブコメディ」として、主人公・林田(リンダ)とは全然違うタイプのごくスタンダードな読者にも充分、楽しめる作品だと思う。

 が、私のような、なにか「過剰なまでに愛する趣味」をもっていたり、周囲になじめなかった経験がある読者には、この作品、身につまされ「すぎて」しまうところがあるのであった。

 何が身につまされるのかというと、なんといっても「過剰さを抱えたワカモノ女子の悪戦苦闘」っぷりだ。

 話の合う相手を求めていろんなところに出かけていくリンダ。しかし同好の士の集まりでは、(リンダではない)一人のかわいい女子をめぐって男子同士が対立してしまい、サークルは見事クラッシュ。大学の自主映画サークルに行ってみれば、自分の作品を「ほめてー」「たたえてー」と訴えかけてくるメンバーたちの「充満する承認欲求にくたびれきってフェイドアウト」してしまう(この「充満する承認欲求」という表現には「リンダちゃん、うまいこと言うなあ!」と思わず感心してしまった)。

 ややマイナーな映画作品を愛するリンダだが、いまはネットのSNSで同好の士と知り合えたりもする。これは現代の若者の大きなアドバンテージだなあと思うが、いざ会ってみたら面倒くさいおじさんだったり、ハンドルネームをリセットしてもまた同じ人に見つかったりと、出会いの道具は進化しても、結局は人と人とのことだから「趣味の話ができる気の合う相手」と出会うことも、実はなかなか難しかったりするようなのだ(ちなみにタイトルの「アレンとドラン」は、リンダの愛する映画監督の名前)。

 私自身も、かつて(三十年前…!)女子短大の幼児教育科への進学時、読書や理屈っぽいことが好きだったことで「ちょっとした変わり者」として周囲から浮き上がりがちだったことを、本作を読んで思い出してしまった。私はそれを「悪目立ち」している、と居心地悪く感じ、10代後半からの10年間くらいは「周囲にとけこむこと」「普通であること」を心がけて自分なりに涙ぐましいくらい努力したつもりなのだが、おかげでそれまでの偏屈さが大分矯正されたように思う。でも一方で、自分自身の「過剰さ」(たとえば、マンガが好きすぎること)を「普通からはみ出すこと」として抑圧した時期もあって、いろんな偏りを自分の一部として自然に認められるようになるにはけっこうな年数がかかってしまった。

 もちろん今にして思えば「過剰さ」は、悪いことではない。自分の心の癖としてうまくつきあいながら、ときに周囲に受け入れられるように表現をアレンジしたり、ときに周囲の反応をスルーし たりもしながらやっていけば(つまり端的に言えば「愛される変わり者」的ポジションになれれば)いいのだが、特に若い頃はいっぱいいっぱいで、なかなかバランスを取るのが難しいものだ。

 本作の、サブカルへの過剰な愛をもつ反面、対人関係においては不器用なリンダがぶつかる試練や居場所を探す悪戦苦闘ぶりは、若き日の「自分の好きなことと、周囲とうまくやることとのバランス」がとれなくて右往左往していた自分を嫌が応にも思い出させてくれて、私のような者にとっては、心が痛い作品なのである。

 しかし、しょっぱい私の人生とは違い、そこは女性マンガ誌の作品。

 本作では、ステキ男子の江戸川くんが、迷えるリンダに要所要所でアドバイスをくれる。

 しかもその助言も、痛いところをズバッと突くが、だからといって見放すわけではなく、適度な距離感で胸に響く言葉をくれるのだ。

 彼のバイト先のバーに通い詰めるリンダに、江戸川くん目当ての美女がイヤミを言ってからんでいると、江戸川くんがさりげなくかばってくれたりもする。リアルに考えれば、お年頃の男子としては江戸川くんはあまりに美女に冷たくて「女嫌いなのか?」と思うくらいの煩悩のなさだが、あるいはこれまでモテすぎたがゆえに人間観察力が上がり、よくあるタイプの秋波(って言い方、古いな……)は、スルーする技術がついているのかもしれない。 そんな江戸川くんの助けもあって、見事に大学での立ち位置を獲得するリンダの姿には、「は~よかった……」とまるで身内のようにほっとしてしまった。

 ところで、リンダは本作で二人の男性に好意を示されるのだが、この二人のあり方が、いろいろ興味深かった。

 一人は冒頭にもふれた、面倒くさい文化系おじさん。

 知識をひけらかし、あわよくば若い子に手を出そうとたくらむという、かなりうんざりするタイプだが、こういう人は(私自身と世代が近いこともあり)リンダに対する「失礼だなあ」という怒りの反応も「あー、こういう人はこう言いそう」と感じた。

 だが、リンダがバイト先の「遊べる本屋」で仲良くなる先輩男子の向井くんの描写には唸った。リンダに告白してくる向井くんだが、あることに怒って彼が言う台詞が、私には全く思いつかない角度からの発言だったのだ。

 どんな言葉かはぜひ本作を読んで欲しいが、なんというか、

「自分を『気をつかわれるべき壊れ物』として位置づけることに全然躊躇がない感じ」

「ナチュラルに、自分を弱者、被害者としてとらえている感じ」

に、

「そうくるか…!」

と、ある意味で感心してしまった。

 アラフィフの私はイマドキの若い男子には、男だからと威張ってる感じがなく男女はフラットだ、という感じを自然にもっていて、いいなあ……と思うことが多かったのだが、その部分が悪い方に出ると「繊細なボクに気を遣えアピール」になってしまうのかもしれない(……と、世代のせいにするのも、それはそれで短絡かも知れないが。そして、ここでのリンダの反応も、「負けてない」のがなんだかおかしい)。

 一方で、リンダは大学のゼミの平良(たいら)准教授とも、映画の話では話が合い、二人の仲は噂になったりもする。

 リンダは同年代からはメンドくさく思われることもあるだろうが、年齢が倍の平良先生から見たら、若いのにマイナーな映画に詳しくて話題が共通し、それでいて映画ネタだとちょっとミーハーな部分もある。そんな根が素直な彼女は、すごくかわいく感じるだろうなあ……とも思うわけで、少女マンガ的にはきっちり恋の予感がする「複数の男子」が配置されているのも見所なのだ。

 それにしても、思えば、ここ数年(あるいは十数年)、現代ではネットを中心に、体験するより先に「その現象はこういう恥ずかしいことです」と端的に知らしめてくれ、やらかしがちな失敗を指摘するような新しい言葉がたくさん生まれてきた。

 たとえば中二病、黒歴史、コミュ力にモテや非モテ……と枚挙にいとまがないし、本作の中でもさっきもふれたように、ヒロイン自身が他者の「承認欲求」にげんなりしたことを吐露したりもする。

 でも本当は、承認欲求をもたない人などいないのだ。

 そして、新しい関係に入っていく「大学生活」の場では、多かれ少なかれ、自分の立ち位置をさぐる試行錯誤が行われていくものだ。ちょうどいい立ち位置(居場所、というやつ)を見つけて、お互いを認めて認められて、そんな関係の中にいて初めて、たいていの人は「過剰な自己アピール」や「過度の卑屈さ」から解放されていくのかもしれない。

 リンダも、他者の「イタさ」をクールに見据えるが、返す刀で自分自身の自信のなさもごまかさず直視する、そんなフェアなところが魅力だ。

 リンダとはまったく趣味の違う江戸川くんも、心理社会学科で学んでいることもあり、そんな彼女を観察対象として興味深い、と思っているらしい。

 ともあれ、1巻のラストではリンダと江戸川くんの距離がぐっと縮まる展開に。

 一筋縄ではいかなそうな二人の今後が、とても楽しみなのだ。