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第8回 戦争国家アメリカの「不思議」を実感した二冊

2017年3月10日

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 ちょうど東芝がほぼ100%近い買収を余儀なくされた原発部門だけに身を縮めたかつてのアメリカ総合電機最大手の一角、ウェスティングハウスがいかに惨憺たる含み損の山かが明らかになったころ、またしても北朝鮮の新たな核実験疑惑が浮上し、明らかに北朝鮮工作員が関与した現キムジョンウン第一書記の長兄、キムジョンナム氏の毒殺事件が勃発した。この前に、北朝鮮による核実験、核搭載ミサイル発射実験が新聞紙上をにぎわしたのは、アメリカで相次いで原発建設計画が廃止や無期延期になった約半年前のことだった。

 冷静にお考えいただきたい。朝鮮民主主義人民共和国は、GDP総額が日本で言えば横浜市予算の3兆3968億円と名古屋市の2兆6609億円のちょうど中間の約3兆円という貧乏国だ。いったい、どこから原発は死に筋で、もう核兵器開発も無意味であることを示唆するニュースが出現するたびに、「いやいや世界にはまだ、こういう乱暴者国家が存在しているのだから、核兵器開発の手をゆるめてはならない」と主張するための事件を起こしつづける資金をひねり出しているのだろうか。アメリカ軍需産業利権集団以外には、あり得ないだろう。

 そして、トランプは、絶対にアメリカの有力利権集団からの献金など入ってくるはずのない泡沫大統領候補だったころ、「NATO解体、もしそれができなければアメリカのNATO軍からの即時離脱」と「あらゆる武力紛争地域からの米軍の即時撤兵」を主張していた。だが、大番狂わせで大統領となった今、強大な軍需産業利権集団、国防総省の事務方高級官僚、陸海空三軍プラス海兵隊高級将校に教えられたとおりに、核兵器開発競争で先頭を切りつづける「世界の警察官」としての米軍の存在をほとんど丸呑みしている。

 一介の素浪人でいたころのトランプは、あからさまな人種的偏見に満ちた発言にもかかわらず、少なくともアメリカが世界に果たす軍事的役割については、100%正論を唱えていた。それが、利権欲しさにここまでかんたんに転ぶとはあさましいかぎりだ。だが、民主党・共和党を問わず、なんのニュースにもならず、密室でひそかに「世界の警察官としてのアメリカ」路線が受け継がれていたころに比べれば、保守派の安堵もリベラル派の激怒もふくめて、上を下への大騒ぎになっているのは、アメリカ社会にとって100歩も200歩も前進したことになる。

 今回は、なぜアメリカがここまでグロテスクな軍事帝国になったのかを考察するために、2冊の戦争関連本を取り上げてみた。

「リベラル」派の偽善を満面開花させた『アメリカは戦争をこう記憶する』

 G・カート・ピーラー著『アメリカは戦争をこう記憶する』(島田眞杉監訳、布施将夫他四名訳、2013年、松籟社)は、アメリカ的なコンテクストで言う「リベラル」なる概念がいかに欺瞞に満ちたものかを、改めて思い知らせてくれる本だ。アメリカでとくに保守系の論客たちが言うところのアメリカン・リベラリズムの偽善性とは、「本来自由主義という意味であるはずのリベラリズムというレッテルを、社会主義的な国家統制や福祉をアメリカで推進するための隠れ蓑に使っている」という批判に尽きるといってもよい。

 だが、アメリカのリベラリズムの偽善性は、もっとはるかに奥深いところに根差している。ピーラーはまず、日本語版のためにとくに書き足した序文で、アメリカ国民の特徴をこう規定している。

 アメリカは比較的新しい国であり、先住アメリカ人を除くアメリカ人はアメリカ大陸以外の他の地域から移住してきた人々である。黒人奴隷の子孫を除けば、ほとんどのアメリカ人は、政治的自由や経済的な機会を求めて自らの意思でこの合衆国の地にわたって来た移民であるか、もしくはその子孫なのである。軍隊に入って任務に就くことは、そうした新たな移民やその子がアメリカ人としての自己のアイデンティティを確認するうえで、唯一の道ではないとしても、その重要な手段であったのだ。
(同書、日本語版への序文、xiv頁)

 なぜ、大航海時代前には南北アメリカ大陸に浸透していた先住民たちの古いアメリカの文化、文明、伝統はほぼ根こそぎにされてしまったのだろうか。そこには、前回ご紹介した阿部珠理著『メイキング・オブ・アメリカ――格差社会の成り立ち』(2016年、彩流社)が克明に描き出したアメリカ植民者たちによる、暴虐をきわめた「インディアン」皆殺し戦争があった。アメリカでも保守系の論客は、少なくとも先住民殲滅戦争が残虐で一方的な虐殺だったことを認めている。その上で、「インディアン側も同じぐらい残虐な行為をしたのだから、おあいこだ」とか「彼ら先住民は文明の進歩の妨害をしていたのだから、当然の報いだ」とかの弁明をする。

 ピーラーは、ほんの一言でもこれらの戦争がいかに一方的な虐殺行為だったかを書いているだろうか。まったく書いていないのだ。その理由は以下のとおりの居直りだ。

 本研究は、対ネイティブ・アメリカンの戦争をアメリカ人がどのように記憶してきたかについては検討していない。このテーマは、なによりもまず、西部の「獲得」と定住という文脈から研究されなければならない。連邦政府はネイティブ・アメリカン諸部族――セミノール族からスー族まで――との間で無数の局地的戦闘を戦い、本格的戦争もいくつか交えた。それにもかかわらず、大陸を「征服」していく過程において、「対インディアン戦争」に関しては、その他の戦争と比べて平和と戦争の境界がはっきりしないのである。それはつまり、毛皮貿易商や鉄道従業員、カウボーイ、開拓者らが等しく、ネイティブ・アメリカンを最終的に連邦政府の被保護者の地位へと追いやるのに決定的な役割をはたしたことを意味している。
(同書序文、12頁)

 21世紀のアメリカ歴史学界で、これほど露骨に先住民を虐殺しつづけた植民地帝国建設者としてのアメリカを擁護する大ウソを並べたてた文章が学術研究の一部として受け入れられている現実には、ただただ唖然とする。対ネイティブ・アメリカン戦争における「戦争と平和の境界がはっきりしない」理由は、何百年にもわたる生活習慣を維持して平和に暮らしてきた人々に、完全武装の騎兵隊が圧倒的な武力の差を行使して一方的に虐殺しつづけたという意味で「平和」と「戦争」が混在していたことに尽きる。

 連邦政府を美化するための、数えきれないほどの粉飾と歴史のねつ造

 また征服の2文字にかかったカギかっこは、アメリカ13州植民地からアメリカ合衆国による北米大陸横断国家の形成が、むき出しの征服活動だったことを、あたかもほんものの征服ではなかったかのように印象づけることに成功している。だが、北米大陸中部の大西洋岸に細々としがみつくかたちで出発した大英帝国の13州植民地と、独立後のアメリカ合衆国は、あるときは直接戦争に訴え、あるときは優勢な武力をちらつかせながらの交渉で買い叩くことによって、ヨーロッパ列強と戦う場合に腹背に敵を持たない大陸横断帝国の形成を、着々と、そして意図的に追求してきたのだ。

「アメリカは戦争をこう記憶する」

 また、「ネイティブ・アメリカンを最終的に連邦政府の被保護者の地位へと追いやるのに決定的な役割をはたした」のは、「毛皮貿易商や鉄道従業員、カウボーイ、開拓者ら」といった逸脱行為に走りやすい民間人であり、まるで連邦政府は善意の傍観者でもあったかのように表現するのは、完全な歴史のねつ造だ。実際には、アメリカ合衆国の正規軍の一翼を担う騎兵隊が狂信的な「インディアン撲滅」論者を指揮官に据えて、インディアンをほとんど絶滅に近い少数勢力に追いやるのに最大の功績を果たした。このことは、『メイキング・オブ・アメリカ』が筆鋒鋭く論及しているとおりだ。

 こういう執筆姿勢であれば、老帝国スペインからカリブ海のキューバ、太平洋のフィリピンという2大植民地を奪い取るという明確な目的意識のもとに遂行された米西戦争(1898年)が、以下のように「記憶」されているのも、驚くには当たらないだろう。

 ハバナ港における米艦メイン号の爆発・沈没は……証拠の有無などほとんど意味をもたなかった。多くの人びとの考えでは、破壊工作だけがメイン号喪失を説明でき、メイン号の亡くなった乗組員は記憶されるべきであり、彼らのために復讐しなければならないのであった。沈没から何日も経たないうちに、ニューヨーク市のハースト系各紙は、メイン号殉職者のメモリアル建造を求めて、また対スペイン開戦を求めて、キャンペーンを始めた。けっきょくウィリアム・マッキンリー大統領は、そうしたプレッシャーにしぶしぶ屈し、合衆国を、戦争を避けたがっていたスペインとの戦争に導いたのである。
(同書、138~139頁)

 さすがに、ピーラーといえども、フィリピン方面での米西戦争が、キューバのハバナ港におけるメイン号事件とはまったく違う様相を呈していたことを無視してはいない。アメリカは、スペインからの解放を求めて立ち上ったフィリピン現地の独立派に対し、独立の支援を確約して味方につけた。そうしておきながら、スペインが敗北を認めると同時に、旧スペイン領フィリピンの新しい宗主国として居座り、フィリピンの植民地状態を維持するという卑劣な裏切り行為を行った。さすがに、これほど時期的にもネイティブ・アメリカン殲滅戦争よりはるかに現代に近く、マスコミなどの証拠も多い戦争を、「戦争と平和が入り混じっているから論考の対象にはできない」とは言えなかったのだろう。

 だが、その言及ぶりは、例によってアメリカの偽善性をできるかぎりかばおうとする姑息な粉飾に満ちている。

 マッキンリー政権がフィリピンを保持し、そこをアメリカの植民地にしようと決定したことで、合衆国内で激しい論争が起こった。他方、フィリピンでは多くの人びとが、即時の独立を求め、合衆国に対して戦争を起こしたのである。

 フィリピンの反乱は、米西戦争とはまったく異なる戦いになった。それは3年以上続き、4000人以上のアメリカ人と10万人以上のフィリピン人の死者を出して終わった。ゲリラ作戦を抑えるため、合衆国は、拷問や反乱軍を餓死させる目的の焦土戦術に訴えた。合衆国内では介入反対派が、暴動の鎮圧に使われた戦術を道徳や人道に反するものだと非難し、アメリカ軍の撤退を求めた。米西戦争と異なり、フィリピン反乱は、20世紀アメリカの忘れられた戦争となった。連邦政府による国立のモニュメントはまったく建てられず、この戦争に関する公的な場での討論は、戦争終了後すぐに減少した。しかも、1922年まで連邦政府は、このアメリカ=フィリピン戦争に参加した合衆国の兵士に退役軍人としての地位を与えることすら拒んだのである。
(同書、141頁)

 アメリカは、独立解放をエサにスペイン支配に対する反乱軍の武力闘争をあおり立てることによって、自国軍のスペインに対する戦況を有利に展開した。にもかかわらず、スペインが降伏するや否や、首都マニラ市の重要拠点を全面的に占領下に置き、「友軍」であるはずの現地反乱軍のマニラ市への立ち入りさえ認めずに、そのまま宗主国のとしての特権をすべてスペインから奪い取って居座った。これが、フィリピン人による「即時独立を求めた」反乱に直結したことには、まったく触れていない。むしろ、拷問とか餓死させるための焦土作戦とかの現地の土民に対しては当然の戦術に対して、国内での非難が高まったりしたから、フィリピン独立抑圧戦争は「忘れられた戦争」になり、動員された合衆国陸海軍将兵も退役軍人としての地位が認められない日陰者にとどまったのだとでも言いたそうな書き方だ。

 通常、学術的な論考には最低限の公平性や客観性が要求されるものだ。これだけ独善的で偏狭な戦争史観がまかりとおるのは、戦争を大衆の視点から再構築するという「最新流行」の風潮に乗ってさえいれば、公平性や客観性などどうでもいいという、学術分野を問わないアメリカ学界の「新しもの好き」の弊害と言えるだろう。だが、まったくなんの収穫もなかったのかと言えば、そうでもない。

「広島・長崎への原爆投下はなかった」論の源流が分かったのは、収穫だ

 この本には、アメリカの一部知識人のあいだに「核兵器開発は成功しなかった。広島や長崎の『原爆』投下による被害なるものは、ごくふつうの焼夷弾攻撃がとくに執拗に行われただけのことだ。もし、核兵器による被害ということであれば、アメリカは民間非戦闘員の大量虐殺について、日本に謝罪する必要がある。だが、焼夷弾攻撃であれば、第二次世界大戦に参戦した諸国が程度の差はあれ、ほぼ一様に採用していた戦術なのだから、何十万人非戦闘員を殺そうと謝罪の必要はまったくない」という、不思議な「原爆、存在せず」説を信奉するカルト集団の源流が分かったということだ。

 第二次世界大戦終結直後に、ニューメキシコ州政府や民間人が「原爆発祥の地、アラモゴード」を観光地化しようとしたことに合衆国陸軍が激怒したという事件が、紹介されている。もちろん、広島・長崎での何十万人の犠牲者を冒涜することに対する激怒ではなかった。

 最初に陸軍が、原子爆弾の爆発で発生した放射線が環境中に残存するという主張に関し、「ジャップの宣伝」として懸命にその信用を落とそうと努めた。軍の主張によれば、日本に投下した原爆は相当な上空で爆発したので、土壌汚染は防げたという。軍はその立場を強化するため、原爆実験の2ヵ月後にジャーナリストと写真家の一団をアラモゴードに招いて確かめさせた。
(同書、220頁)

 こういう大ウソを平然とついておきながら、占領軍として日本に乗りこんだ米軍は、工兵隊による突貫工事で広島市すぐそばの小高い丘、比治山公園内の市街地とは裏側に当たる場所に、「原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commission、ABCC)」なる組織の研究施設を例のカマボコ兵舎仕様で造らせ、ただちに原爆被災者の聞き取り調査を開始した。しかも、「どういう被害を受けたかを克明に聴き取り調査すべきだが、絶対に治療行為をしてはいけない」という厳命を調査員ひとりひとりに下したうえで。

 日本人はほんとうにお人よしが多いから、この放射能被ばくで苦しむ人を見殺しにするプロジェクトに対してさえ、「アメリカは原爆を投下してみたものの、放射能被ばくについては治療法さえ分からなかったので、ヘタに治療して症状を悪化させてはかわいそうだという善意から治療を禁止していたのだろう」と解釈する人もいたらしい。だが、米軍による調査の目的が、この画期的な新兵器の放射能被ばくによる二次被害、三次被害の効果まで厳密に測定しようというところにあったのは歴然としている。当然、日本国民全体が、敗戦に打ちひしがれ、着の身着のまま、食うにも事欠いた状態であっても、被爆者を治療してやるなどというのは利敵行為だったのだ。

 もし、原爆の効果は直接的な爆死だけではなく、放射能被ばくによる長期的な疾患も非常に重要だという事実が、冷戦におけるアメリカの対ソ連交渉力を高めることが認知されなかったとしたら、米軍は今に至るまで原爆による放射能被ばくの蔓延を平然と否定しつづけていただろう。そこから「放射能被ばくはなかった。だから、原爆も、第二次大戦末期にいたっても実用化されていなかった。広島・長崎は焼夷弾の大量投下でたまたま被害が大きかっただけだ」というトンデモ理論までは、大した想像力の飛躍は必要としない。日本の右翼も「南京大虐殺はなかった」などと言いつづけると、アメリカで「原爆投下はなかった」と主張する連中と同じような責任回避の卑怯者集団と思われることが分からないのだろうか。

第一次世界大戦の謎は、いまだに解明されていない

 ピーラーによる第一次世界大戦に関する記述の大部分が、「アメリカは邪悪な旧勢力がはびこるヨーロッパ諸国によって世界戦争に巻きこまれてしまった」という通説の域を出ないのは当然だろう。ただ、この手の著作の中では、いったん参戦に転じたウッドロー・ウィルソン大統領が、いかに高圧的に反戦運動に対処したかを比較的客観的に描いている。

 ウィルソン政権は防諜法の下で反戦活動家たちを投獄し、ストライキ中の労働者を徴兵することまで検討した。また、急進派、ドイツ支持者、そして「徴兵逃れ」などとされた者たちを対象とした、かつてない自警活動の波が生じたが、ウィルソン政権はそれを目の当たりにしながらも見て見ぬふりをした。
(同書、148頁)

 この自警団の活躍ぶりがどんなにすさまじいものだったのかは、アメリカでリンチ(私刑)が最高潮に達したのは、18世紀でも19世紀でもなく、1920年に終わる5年間、すなわち1916~20年だったことに表れている。だが、もっと問題なのはその直後の以下の文章だ。

 しかしながら、このような分裂状況にもかかわらずアメリカは戦争に勝利し、他の参戦国とは対照的に、よりいっそうの権威、富、そしてパワーをもって戦後の世界にたち現れた。
(同書、同頁)

 これがいやいやながら巻きこまれてしまった戦争の、棚からぼた餅的な「戦果」だったというのは、あまりにも話がうますぎないだろうか。一般状況を考えてみよう。当時、アメリカは国民国家同士の総力戦がいかに悲惨な結果を招くかを、南北戦争として実際に体験していた世界で唯一の国だった。また、アメリカは、いつの間にか自然発生的に生まれてしまった国ではなく、初めから国家目的をもった植民地帝国として誕生した。そのアメリカの国是には、3本の柱があった。すなわち、1.ヨーロッパ列強を互いに競わせ、一国だけが突出して強くなることを避けること、2.北米大陸を横断する国土を領有し、ヨーロッパとの戦争になった際に、腹背に敵を持たない地理環境をつくること、3.カリブ海と太平洋を自国の内海とすることだ。

 状況証拠はここまでそろっている。それなのに、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870年)を始めとして、1860年代以降のヨーロッパ列強間の戦争は必ず短期戦でカタが付いていたのに、1913年にアメリカ連邦準備制度が創設され、1914年にこの世界最大の資金力を持つ中央銀行が開業したその年に始まったオーストリア=ハンガリー帝国とセルビアの局地戦だけが、世界大戦に発展したのかを真剣に考えてみようとする歴史家が、どうしてどこにもいないのだろうか。

 

 おそらく、英米仏露のいわゆる協商国側から真相解明の努力を期待するのは無理だろうと思って、同盟国側だったドイツの戦争史・軍事史の専門家フォルカー・ベルクハーンが2003年に初版を執筆し、2014年に第4版を底本とした邦訳版が『第一次世界大戦 1914-1918』(鍋谷郁太郎訳、東海大学文学部叢書)として出版されているのを、読んでみた。結果は、日本語版へのはしがきの2ページ目から、あんぐり開いた口が塞がらない驚きの連続だった。

 確かに日本は第一次世界大戦には参加しませんでした。しかしながら、中国における日本の影響力拡大に向けられた計画がはっきりと存在していました。
(『第一次世界大戦』、日本語版へのはしがき、viii頁)

 ヨーロッパでさえ、戦争史・軍事史の専門家というのは、こんなに基礎的な事実関係に無知であっても務まるものなのだろうか。もちろん、日本は日清戦争のあと、大清帝国にいったん領有を認めさせた遼東半島をフランス、ロシア帝国、ドイツ帝国の3ヵ国による干渉で手放させられてから、ドイツが中国に持つ租借地や東南アジアに持つ植民地を狙っていた。だから、第一次世界大戦が勃発するや否や、同盟国イギリスの制止を振り切って、日英同盟を根拠にドイツを盟主とした三国同盟諸国に宣戦を布告し、ヨーロッパ西部・東部の2戦線で手いっぱいのドイツから、ほとんど火事場泥棒のように東南アジアの広大な海域と、中国の租借地を奪ってしまった。

 第二次世界大戦を目前に控えて、必死に枢軸国側の戦力を高めようとしていたヒトラーは、人種差別を強調するナチス内幹部のそうとうな抵抗を押し切って、アジア人の支配する大日本帝国との攻守同盟を結んだ。そのころ、ヒトラー配下の有能きわまる宣伝相ゲッペルスを中心に、かなり周到な歴史の改ざんをやって、日本は第一次世界大戦で三国同盟を敵に回して参戦することはなかったというような、明白な事実誤認の「正史」をドイツ国民に植え付けていたのだろうか。

大戦前後の金準備の移転状況は、日米戦争利得の大きさを物語る

 どうも、今回は2冊とも日本語版への序文やはしがきからして、先が危ぶまれるような読書体験の連続だった。だが、ここでもまた、アメリカが第一次世界大戦の「世界大戦化」に果たした直接の役割には言及していないものの、意外な拾いものがあった。

 金準備レベルで列強国間において行われた金の移動から、この戦争がヨーロッパの国々を財政の点においても如何に弱体化させたのかが同時によく読みとれる。他方、アメリカと日本は、戦争が終わった時さらに強い国家になっていた。ドイツとオーストリア=ハンガリーは、金準備取り崩しの最たる国家であった。前者は1230億マルクのマイナス、後者は550億マルクのマイナスであった。アメリカと日本においては、金準備は増加した。アメリカの増加額は1280億マルクであり、日本のそれは1830億マルクであった。しかしまた、イギリス(420億マルクのマイナス)、フランス(250億マルクのマイナス)、そしてイタリア(190億マルクのマイナス)は、債務国になってしまった。これらの国の貸借勘定は、1914年以前はまだ黒字であった。
(同書、50頁)

 「戦費はともかく、人命の損失は最小限にとどめながら、しかも堂々と戦勝国を名乗れるタイミングで勝利者側と確認できた陣営に立って参戦する」というアメリカの戦略は、ほぼ満点の戦果をもたらした。唯一、日本流に言えば「画竜点睛を欠く」、英語で言えば「軟膏の中のハエ」として目障りなのが、日本はアメリカより600億マルクも大きな金準備の拡大を達成してしまったことだった。この金額は協商国側で最大の損失を出したイギリスの420億マルクや、同盟国側で2番目に大きな損失を出したオーストリア=ハンガリーの550億マルクよりも大きい。アメリカとしては粒粒辛苦の末にヨーロッパ諸国に最大の人命・資産の損失をもたらすという筋書き通りの世界戦争をさせておいて、最大の利益は日本にさらわれてしまったのだ。

「第一次世界大戦」

 アメリカ政府が、英仏によるドイツに対する過酷な賠償金取り立てを抑止しなかったのは、「ドイツから最大限のカネを搾り取れなければ、英仏にはアメリカの金融機関から受けた巨額の借款を返済する能力がない」という冷厳な事実を、当のアメリカ大手金融機関から突きつけられていたからだった。だが、この過酷な賠償金賦課でほぼ確定した、ドイツによる第一次世界大戦の復讐戦には、ぜひとも日本もドイツ側で参戦させようという方針は、このときすでに米英首脳のあいだで固まっていたのだろう。