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第7回 瓜二つ? トランプ新政権とおめでたきリベラルにみる米国の病巣

2017年2月7日

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 就任前後のアメリカの新大統領ドナルド・トランプの言動、そして閣僚人事を見ていてつくづく感じるのは、かれの基本方針がいわゆる「民主党リベラル」の中でもとくに、なんの根拠もなく、「アメリカは本来、経済強国のはずだ」と確信しているおめでたい連中の主張をほぼ全面的に受け入れているという事実だ。もしこれで、トランプ本人が下卑たことば遣いで、自分よりはるかに弱い立場の人間に剥きになって食ってかかるような人間でなければ、リベラル派知識人からは何ひとつ不満は出てこないのではないだろうか。

 優れたルポライター、ヘドリック・スミスはおめでたきリベラルの典型

 トランプの経済政策は、おめでたきリベラルの主張の丸写しだというところから、議論を始めよう。ヘドリック・スミスというアメリカ人のノンフィクション作家がいる。もともとはスコットランド生まれだが、少年時代からアメリカで教育を受け、ニューヨーク・タイムズの記者から出発して、まだ現役のロシア駐在記者だった1971~74年に集めた資料で書いた『ロシア人』がベストセラーとなり、ピューリッツァ賞を受賞している。どんな問題についても、現地で当事者から話を聞くことを基本にしている、ノンフィクション・ライターの鑑のような人物だ。

 このヘドリック・スミスが2012年に書き、2015年に上下2巻で和訳版も出版された『誰がアメリカンドリームを奪ったのか(上)資本主義が生んだ格差大国、(下)貧困層へ転落する中間層』(朝日新聞出版、2015年。原著はWho Stole the American Dream?, Random House, 2012)は、アメリカ経済に関する論争の闇の深さを知るために必読とも言える。この本のアメリカ再生プランは、ほとんどトランプの「アメリカを再び偉大な国に」政策と変わらない。たとえば、こんな主張だ。

 2000年にはすでに、アメリカの対中貿易赤字は830億ドルに達していた……。だれもが明るい希望を抱いていたわけではない。労働組合は貿易協定に反対し、安い賃金に惹かれてアメリカの製造業が中国に工場を移し、国内の雇用が大量に失われると警告した。中小の製造業は、大企業がコストを削減し、国内の小規模な競争相手を潰すために、中国で安い製品を製造し、アメリカに輸入することをおそれていた。
(同書下巻、69頁)

 その結果はどうだったか。2004年の深セン[土偏に川]港の繁栄ぶりがこう描かれている。

 すでに世界で4番目に繁忙な港になり、3位の香港を急追していた。扱うコンテナは年間1100万個。アメリカ西海岸の大規模港――カリフォルニア州のロサンゼルスとロングビーチ――を合わせたよりも多い。貨物の3分の2はアメリカ向けだ。アメリカの消費者は、中国製品の最大のお客さんなのだ。西欧は浪費がそれほど激しくない。
(同書下巻、64頁)

 この現状認識に、すでにアメリカ的リベラルのおめでたさが露呈している。西欧諸国がアメリカほど中国製品を大量購入しないのは、「浪費が激しくない」からではない。中国製品の粗悪な品質に我慢ができないから、多少高めでもヨーロッパや日本、韓国などの製品を買う消費者が多いというだけのことだ。現代先進諸国で、アメリカほど貧富の格差だけではなく、知的能力、教育水準、文化的洗練度、そして趣味の良し悪しでエリートと大衆のあいだに厳然たる格差が広がっている国はない。だからこそ、たんに低価格という魅力に引きずられているだけではなく、品質の良し悪しが分からない消費者の多いアメリカでは、中国製品が圧倒的なシェアを取っているのだ。

 その結果、年間360億ドル分の中国製品が荷揚げされるロングビーチ港から出荷されるのは何かというと、以下のように情けないやり取りになる。

「原料30億ドルが運び出されます」とスミス(著者であるヘドリック・スミスではなく、ロングビーチ港の広報部長イボンヌ・スミスのこと――引用者注)がいった。「綿糸を輸出し、衣料を輸入します。皮革を輸出し、靴を輸入します。スクラップを輸出し、それが機械になって戻ってきます」。
「ということは、私たちがやっているのは……」。私は言葉につかえた。「まるで発展途上国みたいですね」。
スミスの話は続いた。「古紙を輸出し、製品が入った段ボール箱になって戻ってきます。」
(同書下巻、66頁)

  驚くべきことに、この惨状に対するヘドリック・スミスの解決策は、今トランプがやりはじめたこととまったく同じなのだ。

 アメリカの製造業の力を再稼働するには、アメリカの産業界の新しい国家戦略と幅広い取り組みが必要だと、(元インテルCEOアンディ・――引用者注)グローブは唱えている。光明がいくつか見えはじめている――少数の工場が中国から戻り、製造業の雇用が増え、グローブのようなビジネスリーダーが発言している。
(同書下巻、78頁)

  つまり、中国の製造業就業者よりはるかに高賃金を取っているくせに、似たようなものしか造れないアメリカの製造業労働者をアメリカ国内で雇用すれば、アメリカの製造業は再生するという、まさに現在トランプが推進している愚鈍きわまる経済政策なのだ。ここにはすさまじい思い上がりがある。「アメリカの労働者はすばらしい教育を受けているから、公正で平等な条件で競争させれば、アメリカ製品のほうが中国その他の東アジア諸国の製品よりいいものになるはずだ。実際にそうなっていないのは、東アジア諸国が通貨安や関税・非関税障壁によって自国市場は守りながら、アメリカ市場を侵略しているからだ」という現実を無視した認識だ。

 たとえば、世界中の中学校高学年から中卒程度の児童の数学力・科学力・読解力を測るPISAの実績では、アメリカは先進諸国では万年最下位争いをしていて、日本、韓国、香港、台湾、シンガポールといった東アジア諸国には大差をつけられ、ヨーロッパのほとんどの国にも劣っている。現在、先進諸国の勤労者一般の知的能力を公平に判定すれば、トップグループは東アジア、2番手グループはヨーロッパ諸国、アメリカは最下位グループだ。分数は、分母が同じでないと大小の比較ができない。小数点の位取りという観念を持っていないので、0.8より0.52のほうが大きく、0.52より0.374のほうが大きいといったまちがいをひんぱんにする人間が高卒どころか、4年制大学卒の資格を持っていてもゴロゴロいる。

 アメリカの平均的な工場労働者は、賃金が高いのに知的能力が低いだけではない。成人人口の2~3割は病的な肥満に陥っているので、アセンブリラインに効率よく作業員を配置するためのスペースだけでも、総床面積を東アジアの労働者より1~2割広く取らなければならない。当然、アメリカでアメリカの製造業労働者に造らせたものは、東アジア諸国の製造業労働者に造らせたものよりはるかにコストがかかっているのに質が低い。この当然の事実が、まったく分かっていないのだ。

 この傲慢な現状認識は、たとえば「中国とアジア諸国には低賃金でいくばくかの技術を持つ労働者が3億人以上いる」(同書下巻、80頁、注1)とか、「発展途上国のスキルの高い労働者数百万人は、アメリカ人に近い教育を受けている」(同書下巻、84頁、注2)といった、ことば遣いの端々に表れている。

 だからこそ、彼の解決策は現在トランプが推進しようとしているのとまったく同様なのだ。具体的には、「政府の資源で、老朽化した幹線道路や空港を現代化し、研究・開発を活発にし、落伍してしまった労働者を再教育し、アメリカとアメリカ人が将来もっとグローバルな競争力を持つように、民間セクターへの刺激策を講じる」(同書上巻、28頁、注3)ということになる。

 ヘドリック・スミスを始めとするリベラル派は、個人的にはトランプのような人間を蛇蝎のように忌み嫌っているはずだが、この政策上の一致について自分の中でどう折り合いをつけているのだろうか。「選挙戦中はまったく違ったことを言っていたのに、当選したら我々が提唱していた経済政策を盗んだ」とでも思って、自分を慰めているのだろうか。

 そして、ヘドリック・スミスは、なぜアメリカがここまで金持ちはますます豊かになり、貧乏人の生活はますます苦しくなっているのかという問題の核心をまったく認識していない。「1940年代半ばから1970年代半ばにかけてミドルクラスの繁栄が続いたあと、この30年間、アメリカ史上最大の私的な富が積み上げられる第3の波が生まれた」(同書上巻、16頁、注4)という認識なのだ。

ロビイング=贈収賄を合法化したとき、アメリカの命運は決まっていた

 アメリカにおける貧富の格差を巨木にたとえてみよう。1970年代以降にどんどん根を張り、幹も太く、枝葉が広がることになるタネは、すでに第二次世界大戦直後の1946年に「ロビイング規制法」が成立した時点で蒔かれていた。「規制」法とは名ばかりで、連邦議会に登録し、四半期ごとに財務諸表を公表する「専門家集団」を通じてであれば、企業や個人が自分たちに有利な立法を行うように寄付をすることが正当で合法的な政治活動だという内容の法律だった。

 カネの力で政治家ばかりか、官僚も、司法制度も自分たちに都合のいい方向に動かすことができるという社会になれば、だれが得をし、だれが損をするのかは分かりきっている。原書には付録1として、『アメリカンドリームが奪われた過程の略年譜』が掲載されている。この付録1が翻訳版では省略されているのも、重大な問題だ。だが、それ以上に著者ヘドリック・スミスの認識不足を示しているのが、この略年譜はサブタイトルの中に「1948~2012年」とあり、しかも1948年の項は、「GMが経済成長の成果を資本と労働とで分け合うすばらしい労働協約を結び、他産業のお手本となりました」という内容で、ガリバー型寡占企業と強大な労働組合のあいだのボス交渉の手放しの賛美となっているのだ。

 つまり、ヘドリック・スミスには合法的な贈収賄であるロビイングを許せば、必然的にアメリカの貧富の格差は拡大一方となることに関する認識が100%欠けている。だからこそ、本文だけで上下巻合わせて600頁になんなんとする大著で、何度も「企業側のほうがロビイストの人数も多く、優秀な人材も集め、資金力にいたっては労働側の数十倍から百数十倍に達することが不思議でしかたがない」(同書上巻、45頁、同190頁、同書下巻、43頁等々を参照)と慨嘆するだけなのだ。

 あげくの果ては、もう「政府は機能していないから何をやってもムダだ」という悲観論に対して、「いや、よく見てほしい。政府は平均的なアメリカ国民のためには機能していないかもしれないが、ウォール街や多国籍企業や金融スーパークラスのためには、きわめてよく機能している。そういう連中が望みどおりの政府を手に入れた。手に入れるために、たっぷりとお金を出して。……要するに、政府は機能している。ただし、私たちのために機能するよう仕向ける必要がある」(同書下巻、263~264頁)と言い出す始末だ。平均的なアメリカ国民には、逆立ちしても政府を自分たちのために機能するよう仕向けるカネなどないことが、まったく分かっていないのだ。

 「良心的リベラル」を自任する人たちの知的衰弱を、さらけ出すような議論だ。そして、おそらく富裕層がアメリカの夢を強奪するために仕掛けた最初の一撃であるロビイング規制法について、一言の言及もないのはたんなる見落としではないだろう。その底流には1940年代半ばから1970年代半ばまでのアメリカが、どんどん中流が豊かになっていた地上の楽園のような国だったという認識がある。この点も、トランプの場合はロナルド・レーガンによる「新保守革命」が実現した1980年代まで時代の下限を広げているだけで、基本的な事実認識は一緒だ。

 しかし、トランプもヘドリック・スミスも栄光に満ちた時代だったと回想する1960~70年代のアメリカはほんとうにすばらしい国だったのだろうか。

1960年代半ばまで、リンチは続いていた

 たとえば、1963年8月のワシントン大行進について、ヘドリック・スミスはこう書いている。

 まるで壮大なピクニックのような明るさが漂っていた。だが、ピクニックではない。これは歴史をつくりつつある、社会的大義のための、首都ワシントン史上最大の平和的なデモだった。そして、国民の力を大々的に祝い、人種差別という不公正を改めるよう市民が政府の行動を求める民主主義の祭典だった。
(同書上巻、61頁)

 もちろん、この本にもアメリカで深南部(ディープサウス)と呼ばれるアラバマ州、アーカンソー州、ミシシッピ州などで黒人がどんなにひどい人種差別を受けていたか、そして差別に対する抵抗は命がけだったかを示唆するくだりはある。だが、それはあくまでもごく限られた地域、具体的には「アメリカでもっとも徹底した人種分離都市」とも「恐怖の町」とも呼ばれたアラバマ州バーミングハム市固有の問題であって、南部もふくめて大部分のアメリカ人は人種差別を恥ずべきことと考えていたかのような文脈で語られている(同書上巻、62~64頁)。

 だが、それはねつ造に近い歴史の歪曲だ。阿部珠理著『メイキング・オブ・アメリカ――格差社会の成り立ち』(彩流社、2016年)が、アメリカの歴史は「インディアン」と呼ばれた先住民族の大量虐殺、商品として輸入されてきた黒人奴隷の酷使、アイルランド系、南欧系、中国系、日本系、そして最近では中東系の移民に対する差別と弾圧の歴史だったことを教えてくれる。

 ビリー・ホリデイが1939年に歌った「奇妙な果実」(Strange Fruit)は、リンチにあって木に吊られた黒人の姿を形容するものだった。このようなリンチは、1950年代に公民権運動が興隆してもやむことはなかった。1880年から1930年まで、拷問や火あぶり、性器切断など、リンチの犠牲者は3千人を超えたが、加害者白人は、ジム・クロウ法に守られ罪に問われることは稀だった。
(『メイキング・オブ・アメリカ』108頁)

 本書に興味をお持ちになった方は、108頁のこの文章のすぐ上に掲載された写真だけでも、ぜひご覧いただきたい。1930年に中西部インディアナ州の中規模工業都市、マリオンで行われた黒人ふたりに対するリンチの状況が、高い木から吊るされた犠牲者ふたりの遺体と、そのすぐ下の白人善男善女の、人口2~3万人程度の町としては大変な雑踏が描かれている。生々しい遺体の写ったリンチ現場の写真は、このほかにも最北部ミネソタ州の小さな町でのものとかがウェブの画像検索で確認できたが、深南部のものはひとつも見つからなかった。撮影者が身の危険を感じるような環境だったのかもしれない。

 遺体以上にショッキングなのは、縛り首になったまま吊るされている2人の黒人の死体のすぐ下の混雑ぶりだ。「最近は警察やメディアがうるさくて、黒人を吊るすことさえ勝手気ままにはできなくなった」と嘆いていた連中が、ふたりも同時に吊るせたので大喜びで近在の白人たちを呼び集めたのだろうか。それとも、決まっていたパーティの日取りに合わせて、ふだんから生意気だと目を付けていた黒人を吊るして、錦上花を添えたつもりなのだろうか。それは分からない。だが、死体の下に集まった老若男女は完全に祝祭気分だ。

「メイキング・オブ・アメリカ」

 かなり信頼性が高そうな統計資料によると、1950年代以降は55年に3人、1964年に3人が犠牲になった以外は毎年1人かゼロとなっていて、1965年以降はなくなっている。もしこのデータを見て「多数の白人による少数の黒人に対する集団暴行殺人は、まだ続いているのではないか」と思われる方がいらっしゃったら、アメリカにおけるリンチ問題の深刻さをまったくお分かりでないとしか言えない。リンチとは集団暴行殺人一般のことではない。加害者集団が、「本来司法システムが担うべき正義を、頼りにならない警察や裁判所に代わって自分たちが執行している」と確信して行う私的刑罰のことなのだ。そうでなければ、吊るされた死体のすぐそばに、これだけの人数が寄り集まって屈託なく談笑しているはずがない。

 アメリカとは、1960年代半ばまでこういうことが堂々とまかり通っていた国なのだ。建国初期の先住民大量虐殺が酸鼻をきわめるものだったのは、当然だろう。気の弱い方、残酷場面の描写がお嫌いな方には、とくにものを食べながらこの先を読み進むのはお勧めできない。チビントン大佐率いる800名の騎兵隊が、平和に野営をしているシャイアン族に襲いかかった。以下は、この騎兵隊に通訳として雇われていたインディアンとの混血児の証言だ。

  数少ない男たち(大半は狩りに出ていた)は、まったくの丸腰だった。……
 30~40人の女子供が穴に隠れていたが、女たちは6歳くらいの女児に白旗を持たせて送り出した。この女の子が2、3歩足を踏み出したか踏み出さないかのうちに、彼女も射殺されてしまった。穴の外に4,5人の女が、慌てて走り出した。彼女らはまったく抵抗の気配を見せなかったが、ただちに撃たれた。殺されたインディアンたちのすべてが、兵士たちに頭の皮を剥がれていた。
 一人の女は、腹を斬り裂かれて、胎児を引きずり出され、その胎児は脇に転がっていた。……
 私は、何人かの男たちが、殺したインディアン女から女性器を剥ぎとったあとに棒を突っ込んだことに抗議した。女・子供の死体は、見るもおぞましい方法で切断された。私は、わずか8人しか見ていない。それ以上はとても正視に堪えなかった。彼らは、とてつもなく切り刻まれていた。彼らは頭の皮を剥がれて、むごいやりかたで切り裂かれていた。ホワイトアンテロープ族長の死体は、鼻、耳、男性気を切り取られて転がっていた。一人の兵士が、「こいつの陰嚢で煙草入れを作るのだ」と言っていた。女たちは女性器をえぐり取られていた。
(同書、25~27頁)

 

 この部隊を率いていたチビントンは、騎兵隊大佐であると同時に、メソジストの牧師だった。そして「殺せ! 大きいのも、小さいのもだ。シラミの卵はシラミにしか孵らない」(同書、28頁)と言う。大激論の末とは言え、スペイン宮廷での御前討論会でカトリック神学者たちが「インディオもキリスト教を受け入れる魂は持っている。だとすれば、彼らも人間だ」と結論したのに比べて、なんと偏狭で独善的な「正義感」だろうか。そして、アメリカ白人たちは、この騎兵隊を延々と英雄視しつづけているのだ。

 「さすがに今ではそんなことはないだろう」とお考えだろうか。たしかに、先住民を虐殺してから死体を凌辱したり、黒人をリンチで吊るし首にしたりはしない。だが、強いもの、豊かなものが貧しいもの、弱いものを踏みつけにして、ますます強く豊かになることを正当な権利の行使と主張する伝統は、今も脈々と息づいている。ジョージ州フルトン郡のミドルクラス以上の住民が、群から分離独立してできたサンディ・スプリングスという新しい市がある。「市民の平均年収は約1千万円、医師や弁護士、会社経営者が多く住む市の全域が高級住宅地で、貧困層が存在しない」(同書、249~250頁)という富裕な自治体だ。

 独立によって、市民の支払う固定資産税の15%と売上税の一部、酒税や事業の登録料などで、市財源は90億円にのぼり、州でもっとも豊かな自治体となった。さらに市は……警察と消防を除く、すべての業務を民間に委託した。……同じ規模(人口約10万人)の市なら、数百人の職員が必要なところ、9人に押さえ、裁判所では、裁判長が必要なときだけ、時給100ドルで雇うという、徹底したコストカットを断行した。その結果、市の運営費を当初予算の半分まで削減でき、余剰のお金は住民の要望によって、市民の安全を守るサービスに回される。他のアメリカの都市と異なり、警察と消防は90秒で出動し、警察官は現場に2分で到着する。市民の9割が、公共サービスに満足だと回答している。
(同書、250頁)

 富裕層を引き抜かれてしまって、ますます貧しくなったフルトン郡はどうなったか。

 年間40億円の減収のため、公共サービスが続々と打ち切られた。ゴミ収集頻度の削減、図書館の開館時間の短縮、もっとも深刻だったのは、貧困層の治療を行なう公立病院の26億円にも上る予算の削減だった。富裕層たちの事業が郡から出て行き、雇用不安も生じた。このように減収のしわ寄せは、もっとも貧しい人たちを直撃している。サンディ・スプリングス市の事例は、富むものはますます富んで快適になり、貧しいものは、生活のあらゆる面で困窮を深める現代のアメリカの縮図とも言えるだろう。
(同書、251頁)

 ダウジョーンズ工業平均株価が、トランプ新大統領就任直後に史上初めて2万ドルの大台に乗せた。狂暴な知的エリート専制国家が、新たな犠牲者を血祭りに上げることへの祝砲だろうか。凋落期にふさわしい指導者を得て、衰退が始まったことへの弔砲に聞こえるのだが。

 

注1:「いくばくかの技術を持つ」と訳した部分は、実際の訳文では「中程度のスキルを持つ」であるが、原文の”moderately skilled”のmoderateという単語の持つ劣位性をうまく表現できていない。

注2:邦訳の「アメリカ人なみの教育を受けている」の部分の原文は、“educated about as well as Americans are”である。aboutのニュアンスが生かされていない。

注3:邦訳の「遅れている(原文:fallen behind)労働者」は、もともとアメリカの労働者の能力が低かったことをヘドルック・スミスが認識しているかのような錯覚を与える。

注4:邦訳の「個人の富」の原文”private wealth”は、本来公共のものであるべき富を私的に占有してしまったというニュアンスがある。