[ 連載 ]

新聞の正しい読み方

第4回 米大統領選、「予想大外れ」の教訓

2017年1月18日

20170113_新聞の正しい読み方NEW_4

「予測」と「データ」

 1月20日、ドナルド・トランプ氏が次期米国大統領に就任します。常識破りの大統領が世界をどう変えていくのか、世界の人々が固唾をのんで見守っています。選挙キャンペーン中に世間を騒がせた「公約」の数々をどこまで実現するつもりなのか予測がつかないこともあり、しばらくは日本のメディアも積極的に解説や分析を掲載するでしょう。

 しかし、昨年は米大統領選挙に加え、英国がEUからの離脱を決めた国民投票でも、主要メディアの予測が外れました。この2つの番狂わせにより、新聞やテレビは大いに評判を落としました。「マスメディアは世論を予測できなくなった」という悲観論も耳にしますし、「ジャーナリストは人々の投票行動を誘導するため、あえて現実とは異なる情勢分析を報じていたのではないか」という、うがった見方まであります。

 しかし、本当にメディアや専門家の「予測」は間違っていたのでしょうか。

 確かに、報道から受ける印象では、ヒラリー・クリントン氏が圧倒的とは言えないまでも、かなり有利に選挙戦を進めているように見えました。日米とも主要メディアの大半がヒラリー大統領の誕生を前提に選挙戦を報じていたのも事実でしょう。つまり、ジャーナリストの多くは、実際そういう「見立て」に基づいて報道していたわけです。

 ただ、その「見立て」の根拠になっていた調査やデータが何を物語っていたのかについては再考する余地があるかもしれません。「後知恵だ」という批判はあると思いますが、ジャーナリストの「見立て」と、データが示していた「予測」は必ずしもイコールではないからです。むしろ、今回の報道は、その違いを考える上で、重要な教訓を含んでいるのではないかと思います。

 例えば、多くのメディアが引用した『Five Thirty Eight』というサイトでは、世論調査などに基づいて予想するトランプ陣営の勝率は、投票直前に30〜40%台で、一時は50%に近づいていました。これはヒラリー陣営が優位に立っていることは意味していますが、トランプ氏の逆転勝利が不可能だと言い切れるほどの数字ではありません。ヒラリー氏の勝率が90%と報じたメディアもありましたが、少なくともデータ上は見方がバラついていたわけです。

 メディアの世論調査の数字も、ヒラリー氏が強いと言うよりは、「スキャンダルが表面化している割にトランプ氏の支持率は底堅い」ことを示していました。筆者の周辺でも、こうした数字に注目している人の間では、投票が近づくにつれて「これは番狂わせが起きるかもしれない」という声が増えていきました。

 仮に、自分が圧倒的に不利だと思っているスポーツの試合で、専門家から「あなたの勝率は33%です」と聞いたら、どう感じるでしょう。不利であることは事実でも、3回に1回は勝てるのだから、「これはいい勝負になる」と力がわくのではないでしょうか。プロ野球選手でも、打率3割3分の選手なら、かなり優秀な部類に入ります。勝率が10%しかなかったとしても、諦める人はいないでしょう。つまり、それは無視できないほど大きな数字なのです。

 要するに、メディアが予想した「数字」自体が不正確だったとは、必ずしも言えないのです。ただ、その数字の「評価」に強力なバイアスがかかっていたことは間違いありません。もし、虚心坦懐にデータを眺めるなら、「ヒラリー氏が優勢だが、トランプ氏勝利の確率は無視できないほど高い」と言うべきでした。そして、そういうニュアンスで報じていれば、今回の結果を意外に感じる読者も少なかったはずなのです。

メディアのバイアス――限界を踏まえる

 米国の新聞はわずかな例外を除き、今回はヒラリー氏を応援しました。共和党系の新聞でさえ、「トランプ氏が大統領になるのは危険すぎる」と判断したからです。しかし、「トランプのようなやつが勝つなど認め難い」「勝ってほしくない」という感情は冷静な判断を狂わせます。記事がヒラリー氏で決まりという印象を与えたのは、データを客観的に解釈して紙面に反映することができなかった結果でしょう。そこに、取材活動がヒラリー氏の支持率が高い都市部中心で行われたことによるバイアスなども加わり、判断を誤ったのだと考えられます。

 もちろん技術的な面でも、「隠れトランプ票を読みきれなかった」などの敗因は指摘されています。しかし、負けたヒラリー陣営の得票は、トランプ陣営を300万票も上回っていました。少なくともデータ面からは、私たちがメディアの第一報から受けた「トランプ氏の地滑り的な勝利」という印象こそ修正されるべきでしょう。こうした報道も、数字を冷静に分析したものというより、ジャーナリストたちの動揺がストレートに反映されてしまった結果なのです。

 新聞には選挙結果に限らず、様々な予測が掲載されます。しかし、その中身はアンケート調査の結果、有識者の個人的な予想、記者個人の見立て、記者が取材で感じた「世間の常識的な判断」などが混在しており、注意して読む必要があります。記事から受ける「印象」は、必ずしも現実を反映していないのです。それが、今回の一連の報道からくみ取るべき、最も重要な教訓かもしれません。

 今回の選挙では、米メディアは世論調査や過去の投票実績などから結果を予測しました。統計分析の手法は年々、改良が加えられており、インターネットなどを使った大規模データの収集が可能になったことで、例えば10年前に比べるとかなり精度は上がっています。

 しかし、そこに落とし穴があったということもできるでしょう。読者の側にも、記者の側にも、仮に勝率が数%しか違わなくても「精度が高い予測だからこれで決まりだろう」という思い込みが生じやすいのです(英国の国民投票をめぐる報道にそういう傾向が見られました)。しかし、統計学的にはこの程度の差は誤差の範囲で、ちょっとした世論の揺れや、投票日の天候などによっても左右される程度のレベルでしかありません。

 繰り返しになりますが、こうした技術的な側面とは関係なく生じる、記者のバイアスにも注意が必要です。

 私も新聞記者時代には、予測を含んだ記事をたくさん書きました。しかし、そうしたケースで記者が書けるのは、世間一般か有識者の「最大公約数的な予想」でしかありません。記者個人が独自に判断して見立てを書いているわけではないのです。 

 これは、日本の新聞が「客観報道」を基本としていることが影響しています。記事のほとんどは無署名であり、その場合は記者が紙面で意見を表明することは最小限にとどめる必要があるとされています。ですから、原稿に記者の意見や見立てを反映する時でも、「世間の常識」から逸脱しない範囲でしか書くことはできないのです。

 そうなると、勝率でヒラリー氏が10〜20ポイントもリードしている時に、「トランプ氏が勝つだろう」と書くことは、まず不可能です。それを書くなら、相当強力な根拠を示す必要があるでしょう。常識的には「ヒラリー氏有利」と書くことになり、「押さえ」として「ただし、支持率の差は決定的なものではないので、トランプ氏が逆転する可能性も残っている」といった一文を付け加える程度です。しかし、記事はメーンシナリオを軸にして展開することになるので、「ヒラリーが圧倒的に有利」という印象になってしまうわけです。

 つまり、「記事に含まれる事実、予測、意見は、厳密に区別しながら読む必要がある」ということです。そして、データ以外の予想や見立てについては、多くの場合「常識的な判断」「多数意見」でしかないということを意識する必要があるでしょう。

 より具体的に言えば、報道をベースに自分独自の予測を立てる際には、記事の中で「〜だ」「〜だった」などと断言されている「事実」の部分を重視するべきだということです。「〜とみられる」「の見通しだ」「の公算が大きい」などと書かれている部分はあくまでも「常識的な判断に基づいた見立て」でしかありません。言い換えれば、だれでもそう考えるであろう常識を述べているだけで、分析の材料としては弱いのです。

当選後の「予測」

 その意味では、現在の「トランプ氏はビジネスマンなので大統領に就任すれば常識的な行動をするだろう」という、当選後に広がった「見立て」には、注意を要します。これは確かに「常識的」な予想に見えるし、それが「多数意見」だからこそ、日米の株価は急上昇したのでしょう。メーンシナリオは実際にそうなのかもしれません。

 しかし、その根拠を支える事実は、報道を見る限り、はなはだ貧弱です。「トランプ氏はビジネスマンの経験が長い」というのは「事実」ですが、ビジネスマンにもいろいろなタイプがいますし、トランプ氏の発言と行動の関係を長期にわたって調べて分析した記事はお目にかかったことがありません。要はイメージ、印象論でしかないのです。

 むしろ、「トランプ氏がキャンペーン中に振りまいた暴言が単なるパフォーマンスでありますように」「地位は人をつくるというし、きっと無茶はしないだろう」といった、願望や根拠薄弱な憶測が影響している可能性を頭に置いて記事を読んだ方がいいでしょう。言い換えれば、こうした見立ては「ヒラリー氏が勝つはずだ」という予想と同じくらい、崩れ去る可能性も高いということです。

 もちろん、それがただちに「トランプ氏は大統領に就任しても非常識な振る舞いをして世界を混乱の渦に陥れる」ことを意味するわけではありません。今は、そうした予測の根拠となるデータも少ないからです。

 一般論を言えば、真実は極端な楽観と悲観の間にあるのでしょう。しかし、ジャーナリストも人間なので、取材で得られるファクトが限られる時には、見立てが極端に傾くことが少なくありません。記事を読むときは、そうした「限界」を冷静に見極める必要があるのです。