[ 連載 ]

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第9回「キレる私をやめたい」(田房永子・竹書房)

2016年8月14日

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 心というのは、目に見えないうえに、自分のものでさえときに手に余ってコントロールがきかなくなったりして、なかなか難しいものである。いやむしろ、なまじな対人関係より自分自身の心の問題のほうが、本気で改善しようと思えば難儀かもしれない。なにせ自分のことであるから、よほど困ったことでもないと自覚すらしづらいし、ましてやそれを改善するなんて、至難のわざだ。そんな「よほど困った心の癖」を、自覚して改善することができた稀有な体験を描いたのが本書である。

 著者の田房永子氏は、母との葛藤を描いた『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)などのコミックエッセイで広く知られているが、本作では自分自身の「キレる」癖に焦点をあてている。

(キレる、とは、「感情の高ぶり(怒り)を理性で抑えきれなくなる状態のこと(後略)」の俗語である。(http://zokugo-dict.com/07ki/kireru.htm))

 著者は、ふだんはむしろ温厚なのに、夫のふとした言葉に我を失うほど怒りが爆発する、という自分の癖に悩んでいたという。はじめは暴言だけだったのが物を投げたり暴力を伴うように……とエスカレートしていき、そのあとひどく落ち込むのでなんとかやめたいのに、自分ではどうすることもできない。いくら困っても普通ならそれで思考停止に陥るところだが、「なんとかしなきゃ」と試行錯誤するのが著者のすごいところで、自分のキレるパターンを分析したり、さまざまな心理療法にトライしたりして、ついに自分の「キレる」という心理のメカニズムを理解するのだ。

 著者がたどりついたあるセラピーでは、助言者の導きで、怒りの感情を判断抜きでいったん外に吐き出し、それを客観的に眺める、という作業をすることになる。そこで著者は、「怒っている自分」と、自分の母との共通点を見出し、長年蓄積してきた母への怒りを口にすることで、ある変化に気がつく。自分のなかにあった怒りのマグマが、そのときを境にまるでなくなってしまったのだ。

 そこからの自己分析は著者の本領発揮である。

 長年「お前はダメ」「価値がない」と親や元彼などから言われ続けてきたことで、自分は無自覚に傷つき、防御のために心の中に「井戸」を掘ってその底にいることで安心していた。しかし、これ以上否定できないくらい自分を「ダメな人間だ」と否定しているから、少しでも自分の行動を否定するようなことを夫のような親しい人から言われると、過剰に「否定された!」とパンパンに膨れた心が破裂してパニックになり、自分で制御できないくらいに暴れだしてしまうのだ。

 だが、セラピーで少し傷が「回復」したことで、著者は心の「井戸」から外に出ることができ、キレなくなっただけでなく、あることに気づく。

 以前は責められているように感じてキレていた夫の言葉も冷静に理解できるようになった著者は、同時に、それまで見えなかった(無意識に見ないようにしていた)夫の、本当の姿が見えてきたというのだ。大げさに言うと「完璧」だと思っていた夫も、けっこう短気で口うるさい、つまり長所も欠点もある「普通の人」だということがくっきり見えるようになり、著者もキレることなく不満を伝えて夫の返事を待つことができるようになって、初めて対等な関係になれた……というエピソードは、派手ではないがとても感動的な部分だ。

  著者は、キレてしまうことを悩んでいたとき、解決につながる本がないことにショックを受け、「キレること」についての本を絶対に描こうと決意した、という。自分の考え方のくせを客観的に見ることは意外と難しいけれど、著者と同じように「キレてしまう」ことに悩む人だけでなく、「まじめに生きてるのになんかしんどい」と思っている人には、本書はきっと、何らかの貴重な生きるヒントを与えてくれると思うのだ。

 実は私自身も、ふだんはけっこう人に気を遣っている(つもり)のだが、その反面、怒りを表現するのがとても苦手なのだ。よって、「まあこれくらいは、怒るほどでもないか」と小さな不満や怒りを無意識にため込みすぎて、ある時点で不満の貯金が満期を迎えて堪忍袋が大爆発。怒りがコントロールできなくなる……という悪癖がある。著者の田房氏のように頻繁に近しい人に激しくキレる、という形ではなくて、周期でいえば10年に1度かそこらでなにかを物理的に破壊したりもしないのだが、この状態になると対象に対する怒りがまさに「噴出」という感じになって、自分でも「あー私、怒りすぎてるかなー」とぼんやり感じても、止められなくなってしまう。よってまるで怒りに乗っ取られたように自分がどうしたいのかもわからなくなり、通常の社会生活における「ほどほどの妥協点」に着地できなくなるので、相手も困惑するだろうが、自分も感情的に不安定になるわ、交渉ができないわで、損得でいうと大損害なのである。

 そんなわけで、自分の悪癖改善のヒントにできそう!と「それで?」「どうやったら改善できるの?」と身を乗り出すようにして本書を読んでしまったのだが、キレないようになるには〈状況〉ではなく自分の〈心〉の部分にピントを合わせる必要がある、という説明には膝を打った。著者が「ぶどうがたべたい」と泣く幼い娘に「オレンジしかないよ」と〈状況〉を説明しても納得しないのに、「そうか、すごくたべたいんだねー」「なくて残念だねー」と〈心〉に注目したとたん泣き止み、オレンジを食べた……というエピソードには「な、なるほど…!」「心にピントを合わせるってすごいんだな」と納得してしまったのである。

 それにしても、著者の田房永子氏は、感情のシステムを図解する達人である。心の中のことを目に見える形で描くのは、描かれてみれば簡単そうだけど、実はけっこう難しいことだと思うが、著者の説明は明解でわかりやすい。

 シンプルな線で描かれた本作だが、「感情」に関しては的確な表現がなされている。個人的には終盤、夫と口げんかになった際、怒りを抱えたままクールダウンしようと布団にはいったときの「怒りがおさまらないまま無理矢理横たわる」姿には「あるある、こーいう状態!」と笑ってしまった(P.119)。

 私自身、ストレス発散が本当にへたくそなので、ストレス預金だけが日々順調にたまっていくことに地味に困り、突然やってくる満期にひそかに怯えていた。だが、本書を読んで感情のシステムについて少し詳しくなったことで、「セルフコントロールの肝はセルフケアにあり」と学んだ(ような気がする)。

 田房氏いわく、キレやすい人は一見自分に甘く見えても、実は自分に自信がなく否定的なので、いわば24時間自分に厳しい人と一緒にいるようなものだというのだ。つまり自己肯定感が低い、ということだと思うが、それを改善する方法を、著者は身を挺して学び、3つの方法(その具体的な内容はぜひ本書を読んでほしい)として提示してくれている。

 一見いいことに思える「己を厳しく律しなければ」といった態度も、行きすぎると人によっては、実は自分自身を無自覚に、日常的に傷つけているのかもしれない……とも感じた。私も本書で教えてもらった知恵を意識して、もう少し怒りや不満といった否定的な感情とうまくつきあっていけるようになりたいなと思うのだ。