[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

第8回 『ヒビコレ――公民館のジョーさん』 (かたおかみさお・双葉社)

2016年7月5日

New_BANNER_manga201607

『ヒビコレ』の舞台は、田舎でもなければ都会でもない、古くからの住人と新しい住人が暮らす郊外のとある町。町の公民館(正確には、区民館)に勤める若い女性・大野城灯(おおのじょうあかり)は、ジョーさんと呼ばれていて、仕事を通じて地域の人の役に立つため日々軽やかに奮闘中だ。体調のよくなさそうな妊婦さんには声をかけ、学童のおやつに地元の野菜はどうか? なんて算段をつけたりもする。

 新人だけどこの町の出身のジョーさんには古くからの知り合いもいっぱいいて、つながりをフル活用して課題を次々に解決していく。そんな彼女の活躍ぶりに反感を抱く若い男性職員・宮田もいたりして、ちょっぴり不穏な空気も。でもジョーさんは気にせず、敵意はひらりとスルーしつつ、皆の生活を快適にするためにさまざまな提案やお手伝いをするのだ。

 現在出ている第1巻に登場する人々は、妊婦さんや子どものいない主婦など、ご近所づきあいが希薄になっている現代では、家にいるだけでは新しい知り合いができづらい人だったり、いざ「主婦友」ができてみるとちょっと気になることがあってでも言いづらいしどうしよう……という悩みをもっていたりもする。ものすごい深刻な悩みではないけれど、「○○さんのママ」「誰々の奥さん」じゃない「○○さん」って呼ばれるおつきあいができるといいな……みたいな、一見ささやかだけどけっこう重要、でも難しい願望に、直接的ではないかもしれないけど「こういう方法もありますよ」と解決策を提案し、そのなかで気づけば多様なつながりを生み出しているのがジョーさんなのだ。

 第3話では、区民からの公民館への不用品の寄付をどう取り扱うか? という問題が描かれる。トラブルを未然に防ごうとする職員の宮田はけんもほろろに食器の寄付の申し出を断るが、一方でジョーさんは、昔の友人(現在も地域に住んでいる)から、区民館に来る子どもが使えそうなビニールプールの寄付や、宮田が一旦断った食器も頂こう、と判断する。

 この一件で宮田からは、一人の寄付を受け付けると(区民館を)不用物の廃棄所とする人も出てくる可能性があり、ものによって断れば、対応が人によって違うことに文句を言う人が出てくるかもしれないといった、もっともな意見が出される。町内会委員の古参らしきパートさんも、以前家事で焼け出された一家に地域の人々が善意で生活必需品を寄付してくれたことがあったが、あっという間に明らかな不用品を持ってくる人がふえ、結局トラブルになってしまった……という話をする。

 善意で始まったことが、ありがた迷惑になってしまう。

 ありそうなトラブルだが、それに対してジョーさんは、要不要をはっきり言える仲介者がいればよかったですね、と答えるのだ。少なくともココ(公民館)では、「私でよければちゃんと言いますヨ!」と自分が仲介者になります、と宣言する。

 あーナルホド、とこのエピソードを読んで私は膝を打った。

 直接相手を目の前にして、相手が(善意で)くれる、というものを断るのはものすごいエネルギーが必要だけど、双方の意向をくみとりつつ「これは必要」「これはいらないです」とジャッジしてくれる「第三者」、仲介者がいてくれれば、助ける人も助けてもらう人も気持ちの負担が減って、わりとスムーズにものごとが進むのかもしれないな、と。

 思えば、いつしか私たちはとても「感情の収支」で損をしないことに、敏感になって(なりすぎて)しまっているのかもしれない。

 かく言う私もその点でかなりセコい人間だ。お恥ずかしいことに、もし善意から提供したものを断られたら、さしあげる準備や声がけにかかった時間や手間が全部ムダになるし、『せっかくよかれと思って言ったのに……』と正直ちょっとがっかりしてしまうだろう。そのがっかり感は、感情の収支で言うと『損』だし、相手にも『断る』という負担をかけるし、それなら最初からしないほうがいい! ……と思ってしまいがちなのだ。

 でもよくよく考えてみれば、本当に「最初からしないほうがいい」のかというと、相手がそれを必要としてる場合だってあるかもしれないし、「ものは今回不要だけど、気持ちは嬉しい」と(社交辞令じゃなく)感じてくれるかもしれない。それは、申し出てみないとわからないことだ。

 善意の提供には、実は提供する側に、「自分は善意を提供するけど、受け取るかどうかは相手の自由」で、結局断られたとしても、なんというか、「拒否された!」と過剰に反応しすぎない、いわば「傷つかない」「傷つきすぎない」という心がまえが必要なのだろう。NOと言われたら「そうなんだな、またご縁のある人にさしあげようかな」くらいに思えるちょっとした「余裕」がないと、ときに善意は押しつけになってしまう。でも私自身もそうだが、現代ではこういう諸々の葛藤が面倒くさかったり「感情の収支」で損したくない! と思いすぎたりして、気軽に善意を提示し不要なら軽やかにひっこめる余裕のないキリキリした人が多くなっているのかもしれない。少なくとも自分はそういうとこあるなあ……と思い至り、反省してしまった。

 でも、なるべく心理的負担を少なくして、ニーズが一致している人やものを結びつけてくれる仲介者の存在は、感情が必要以上に波立たなくてすむためのシステムになりうるのだな、と本作を読んで強く感じた。そして、テクノロジーの発達や、人々のプライバシーや権利に関する意識が激変してきた今日、こういう「感情のケア」をしつつ「気持ちやものの仲介者」になってくれる人というのは、目立たないけど、実はとても必要とされている存在なのかもしれない、とも思うのだ。

 本作のヒロイン・ジョーさんは、地域の人が困っていることをていねいに聴き、できないこと、すべきでないことなどの言うべきことはクールに相手に伝え、臨機応変に解決策を提案し、ときには自分個人の友人や、さまざまな職歴を活かしたスキルを軽やかに駆使して問題を解決していく。若いけどとってもすごい人なのだが、すごすぎて、作中の宮田ではないけれど「こんな完璧超人っぽい人物、正しすぎて少し苦手……」と、うっすら反感をもつ人もいるかもしれない。私自身も、実際にこういう人がそばにいたら、彼女のすごさに比べて、もたもたしているばかりで人の役に立てない到らぬ自分が浮き彫りになり、逆恨み的に(作中の宮田と同じようにように)感じ悪くジョーさんに接してしまいそうな気もする。スモールハートですみません。

 でもたぶんジョーさんの人物造形は、「皆が気持ちよく暮らしていくための仲介者の資質」を一人の人物に集約させることによって、陰鬱になりがちなご近所トラブルなどのエピソードを、ジョーさんがスカッと解決! という、いわば「遠山の金さん」的な娯楽作として成立させるために作者が生み出した人物像なのでは、と思うのだ。それは、本作の作者の長く続いた人気作で、会社を舞台にした『Good Job(グッジョブ)』シリーズの主人公、とっても優秀できっぷのいいOLの上原(うえはら)草子、通称「上ちゃん」の存在も、同じ構造である。

 「役所としてのきっちりしたルール施行と住民としてのなあなあなつきあいを両方供えた職員になりたいです」とジョーさんは言うが、世の中全体が宮田的な「トラブル回避」にややかたむきすぎな感もある今、いい意味での「なあなあ」というか、「中庸」のあり方を新しく考えていく必要があるのかもしれないな、と考えさせられた。余談だが、作者が福岡のご出身のせいか、本作の登場人物の名字が福岡県の地名からとられているのも、子ども時代の10年間を福岡で過ごした私には親近感がわいてなんとなく嬉しかった。

 マンガから教訓を受け取るのが好きな私だが(『人生の大切なことはおおむね、マンガがおしえてくれた』という著書もあります)、本作は「ジョーさんが果たしている役割って、現実的には一人の人が全部やるのは難しいけど、少しずつ複数の人で分担してできれば、いい方に変わっていけるかも」という、人間関係を円滑にまわしていくためのアイディアが詰まった作品なのだと思う。

 私もそうであるように、人間関係で日々ほんのちょっとだけ困ったな……という気持ちを抱えがちな人が、お話として楽しみながら「皆が気持ちよく暮らしていくための、意見のすりあわせのヒント」を学べるお得な本作。心当たりのある方はぜひ、気楽に手に取ってみて欲しい。