[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

第7回 『響 ――小説家になる方法』(柳本光晴・小学館)

2016年6月6日

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 ある文芸雑誌の編集部に、新人賞の投稿原稿が届く。応募要項を無視したその作品「お伽の庭」は、とてつもなく革新的な内容だった。連絡先すらわからない謎の作者の名は「鮎喰響」。この作品に、そして作者の才能に惚れ込んだ若手編集者・花井ふみは、なんとか作品を世に出したい、と必死に手を尽くす。その投稿者の正体は、高校に入学したばかりの15歳の女子高校生だった。

 地味で一見おとなしそうなメガネ女子の響だが、教室ではずっと一人で本を読み続け孤立している。入部しようとした文芸部は不良のたまり場になっていたが、その一人が口にする脅し文句の「殺すぞ……」も言葉通りに受けとり、逆に相手の指の骨を折り、目を狙ってボールペンをかまえるエキセントリックな響は、行く先々でトラブルを引き起こす。

 物語は、投稿作「お伽の庭」が巻き起こす波紋と、響の文芸部での活動という大きく分けて二つの話が並行して進行し、やがて交わってゆくことになる。

 響は高校の文芸部に入るが、そこで出会ったチャラいギャル風の部長のリカは、派手な外見を裏切る文芸好きで高校生離れした文才の持ち主だ。一見地味で「フツー」っぽいのに実はことごとく常識外れで、小説の評価を巡っては子どもっぽいくらい妥協しない響とは対照的に、リカは空気を読んで周到に自己演出し、周囲と軋轢を起こさないようふるまうことができる大人びた女の子だ。ろくに勉強しなくても成績はトップクラス、運動神経もよくていまふうな美少女のリカは、コミュニケーション能力や外見がイケてることが重要視される「いまの時代の優等生」と言えるかもしれない。

 そんな彼女は「生まれ持った能力ってのはどうしてもあるの。」と自らを「才能」の持ち主だ、と冗談めかして言い放つのだが、やがて後輩・響が文芸部の部誌に寄稿した小説を通して、自分をはるかにしのぐ響の卓越した才能に気づくことによって、この言葉が自分に跳ね返ってくることになる。

 ここでの悲劇は、リカが小説のよしあしを見抜く眼力と、己の作品をも客観的に見る力をもっていたことかもしれない。いっそ「自分天才!」「私の小説はサイコー!」と盲目的にうぬぼれられる愚かさがあった方がラクなのかもしれないが、恐ろしいほど我を通す「無自覚な天才」である響に対しては、ふだんは年に似合わぬほど行き届いた感情のコントロールを見せるリカも、ときにいらだちを隠せなくなる瞬間があるのだ。それは、同年代の中でゆうゆうとトップ集団を走ってきた彼女にとって、生まれて初めての足元がゆらぐような恐怖感かもしれない。そして大人っぽく見えても、リカもまた、仕事相手である編集者を友人のように感じてしまい、相手からの評価や響と自分との対応の差に一喜一憂する程度にはまだ「子ども」なのだ。一見器用に見えても自己を確立していく思春期まっただ中のリカの葛藤は、生々しく読み手の胸に迫るものがある。

 また、どう考えてもフツーに生きられそうにない響に「普通の幸せ」を願い献身的に尽くす幼なじみ・涼太郎も、一見さわやかなイケメンだが、自室には壁一面に響の写真を貼り付けていたりと内面に不穏な闇を感じさせて、どういう過去があるのかひどく気になる存在だ。

 編集者・花井の尽力で響の投稿作は新人賞の選考対象となり、選考のために下読みした人々から強烈な賛辞を引き出し続けるが、面白いのは、響の小説を読んだ名のある作家たちが、ひどく正直になるところだ。屈折した自己愛の塊のようなある著名な小説家に対して、響は面と向かって「あなたは昔、天才だったでしょ」と、彼の作品がかつての輝きを失ったことに対して辛辣な言葉を投げつけるが、響の小説を読んだその作家は、自分の才能が枯渇したことを率直に認め「世界を感動させるのは、お前にまかせるよ」とまで言うのだ(その後、響はさらにひどいダメ押し発言をするのだが、これは是非本編を読んでみて欲しい)。

 ふだんは感情を素直に表現することの少ない響だが、小説は好きかと尋ねられたときだけは「……大好き。」(略)「心に直接触れてるみたいで……」と頬を赤らめて答える。どうやら彼女の小説にも、読んだ人の「心に直接触れ」て、普段は自分でもガードして直視しないことまで見つめさせる力があるようだ。つまり彼女は、読んだ人を、読む前とは変えてしまう読書体験をさせる小説を書ける、ということだ。作中では文芸は売上が低迷し冬の時代、ということが何度も嘆かれるが、編集者の花井は、だからこそ小説の力で世界を変えられるようなスターを誕生させたいと強く望み、響がそうなれるのではと夢見ている。

 響が、若いのにいまどき直筆の原稿を編集部に送りつけてきた、という設定なのも興味深い。これは作中の文芸誌の応募要項を満たしていない(ネットからのデータ応募のみ受付)のだけれど、何かと複雑化した現代において、まさに何一つもたない若者が、文字通りの「ペン一本」で、文字の、文章の力で人の心を強く動かし、大きく言えば世界を変革してしまう…というお話になっているところが、どんなに時代が変わっても「人の心を揺り動かすもの」の変わらぬ本質を示しているようにも感じられる。

 SNSの発達で個人が発言しやすい環境の現代、なにか問題を含む発言をした人に対しては、たちまちに非難が殺到し「炎上」してしまう昨今だが、個人的に気になるのは、他者に対してあまり深く考えずに「正義」をふりかざせてしまうことの裏にすけてみえる、妙にうすっぺらい人間観である。間違いを指摘し改善を目指していくことはもちろん大切だけれど、暴走と言いたくなるような行きすぎた断罪ぶりを見かけたときなど、まるでこの世には「正しい人」と「間違った人」がいるかのような二分法的思考がその底にあるような気がして首をかしげたくなることがある。

 すばらしい偉大さとしょーもない愚かさの両方が一人の中に共存するのが人間というもので、文芸はおそらく、そんな人間の不思議さや割り切れなさ、底知れぬ奥深さを描いてきたジャンルなのではないか。

 かつて尊敬するある方が「突出した才能をもつ人は、その分欠落もある」とおっしゃっていてなるほど、と深く頷いたが、本作では、まさに突出と欠落が極端な響という主人公が、閉塞した世界にカドをたてまくりながら風穴をあけていく様子を描いている。それはいまの時代にはとてつもなく危険なやり方でもあるけれど、そのいびつなあり方も含めて、ひどく痛快に感じられる。本作は、青春の自己確立や天才を目の当たりにした秀才の苦悩という古典的テーマを、いまという時代の閉塞感を突破する可能性とからめつつ、ヘタをすれば地味になってしまいそうな文芸というモチーフをエンタメとしても面白く描いている野心作なのである。