[ 連載 ]

社会科学の制度論的転回

第6回 行動経済学の勃興(Ⅱ)

5月4日

syakaigaku201604

 

3.歴史からみた行動経済学の特徴

   行動経済学は実験経済学を基盤とし,そこで発見されてきた観察結果を説明するために,特に個人の意思決定の文脈に焦点を当てて登場してきたと考えて,実験経済学と行動経済学の関係をシームレスなものとみなすこともできなくはないが,行動経済学と実験経済学の関係はそれほど単純なものではない.また,伝統的な経済学の説明力に対する不満が,その根本的仮定をなす人間の合理性に向けられた結果,行動経済学が経済学内部に浸透していったという見方もできないわけではないが,これもまたそれほど単純なものではないのである.Heukelom (2014)は行動経済学の歴史を精査することで,このような観点とは異なる見方を提供してくれる興味深い本である.ここでは彼の議論に依拠しながら,行動経済学の歴史がどのようにその特徴に影響しているのかについて見ておきたい.

 3.1 行動経済学の源とその受容が伝統的経済学にもたらした意味

   やや意外に思われるかもしれないが,行動経済学の源を辿っていくと,本連載の第2回で説明したフォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの期待効用理論に行き着くことになる.第二次世界大戦中,アメリカの一部の心理学者たちは,人々に合理的な選択をとらせるようにするにはどうしたらよいのかという研究プログラムを展開していた.そうした文脈の中で1944年に登場した期待効用理論は,心理学者にとって合理性のベンチマークとみなされるようになる.

 フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの期待効用理論におけるアプローチの特徴は,「公理的(axiomatic)」であることにある.つまり,ユークリッド原論のように,そもそも合理的であれば従うだろうと考えられるいくつかの原則を公理として記述し,合理性はその原則から演繹される事柄によって完全に特徴づけられると考えていた.このことを少し言い換えれば,合理性の根拠は,彼らが設定した公理の内容をわれわれが内省したときの「もっともらしさ(plausibility)」にあると考えられていた.これは,もっともらしい公理によって体系化することが正しい科学のあり方だと考える,科学に対する当時の特殊な考え方を反映するものであった.

 この点では,当時の多くの経済学者や心理学者もほぼ同じであり,両者とも期待効用理論を,合理性を完全に特徴づけるものとみなしたのであった.しかし,経済学理論と心理学理論では,その理論体系全体の中での期待効用理論の位置付けが若干異なっていたとHeukelom (2014)はいう.

 今日の経済学教科書でも必ず触れられていることだが,経済学者はしばしば「実証的(positive)」経済学と「規範的(normative)」経済学とを区別している.前者は,実際にどうなっているという事実を解明するための理論であるのに対して,後者は社会的な望ましさについての洞察を加えるための理論である.前者はよりわかりやすく「事実解明的」と訳されることもある.この区別を用いて述べるならば,当時の経済学者の多くは,期待効用理論を事実解明的理論の基礎をなすものとみなしていた.論者によって微妙なニュアンスは異なるものの,フリードマンらが事実解明的な経済理論の体系のなかで,人間行動に関する根本的な仮定をなしている期待効用理論を検証すべき対象ではないと考えたのは,部分的には,このような伝統的な考え方に基づくものであった.

 経済学の「実証的」と「規範的」との対比に対して,心理学や意思決定理論では判断や行動に対して「記述的(descriptive)」と「規範的(normative)」という区別が用いられる.言葉が似ているので話はややこしくなるが,この対比は経済学で用いられるものとは異なり,「現実に観察される人間の判断/行動」と「合理的なあるべき人間の判断/行動」とを区別するものである.この言葉を用いて述べるならば,心理学にとって期待効用理論は規範的理論の実質をなすものだということになるのである.

 心理学者の一部はさらに,「記述的 vs. 規範的」という対立の中で規範的理論の位置を占める期待効用理論は,実際に観察される人間行動を測定する際の基準点をなすものとみなしてきた.カーネマンと出会う以前のトヴァースキもこのような考え方を持っており,実際の人間行動は,基準点である期待効用理論の逸脱として説明できるはずと考えていたのだが,さまざまな実験結果はこうしたアプローチで説明することをますます困難にしていったのだった.トヴァースキはこのときにカーネマンと出会い,ヒューリスティクスとバイアスの理論に向けた大転回をなしとげていく.つまり,カーネマンとトヴァースキは,期待効用理論を基準にした記述的理論を仕上げていくことは不可能であり,これとは別個の記述的理論を作り出していくべきだという発想の転換を遂げたのであった.

 つまり,規範的な位置にあった期待効用理論からの逸脱という仕方で記述的理論を仕上げることを諦めて,これとはまったく別個の記述的理論を作り上げたといってもよい.このようなパラダイム・シフトが行動経済学として結実し,経済学の領域に浸透していくにつれて,事実解明的な経済学の基礎にある合理性をアンタッチャブルなものと考えてきた経済学体系の伝統的前提が大きく揺らぐことになったのである.

 3.2 行動経済学と合理性

 では上述したようなパラダイム変換の結果として,カーネマンとトヴァースキは,期待効用理論を人間行動の記述として妥当性を欠くものとして退け,それをヒューリスティクスとバイアス,あるいはプロスペクト理論で完全に置き換えたといえるのだろうか.実はそうではない.彼らの営みの本質を言い換えるならば,彼らは人間行動の「記述的」部分を再建したのであって,規範的部分については触れていないと言ってよいだろう.つまり,カーネマンとトヴァースキは「合理性」という言葉こそ使用しないものの,人間的合理性が持つ規範性を完全に放棄してしまったわけではないのである.すでに述べたように,この部分は,カーネマンの体系のなかでは二重過程理論のシステム2として生き残ることになったのである.

 伊藤邦武(1997)が明らかにしているように,哲学の長い歴史を通じて,そもそも人間が不合理であるという事実の理論的探求よりも,むしろ,どのような思考が合理的といえるのかという問題こそが重要なイシューとして追求されてきた.道具的合理性の正確な定式化に基づいた社会科学が花開き,その合理性の仮定が問題視されている現代の状況は,ある意味では歴史的に例外的なものなのである.人間にとって「合理性」はどうしても手放すことができない何かである.このことの意味については,後にも語る機会があるだろう.

 3.3 マーケティングされた科学としての行動経済学,その実験経済学との関係

  20世紀に入り,アメリカが科学研究を主導的に担うようになるにつれて,いくつかの新しい分野は,民間資金によるプロジェクトによって立ち上げられるようになっていった.行動経済学もそのようにして立ち上げられた分野の1つである.カーネマンとトヴァースキの理論をファイナンス理論に積極的に応用したリチャード・セイラーは,カーネマン,エリック・ワナーとともに,アルフレッド・P・スローン財団(1984~1989年)とラッセル・セージ財団(1987~1992年)の資金を受けて研究プログラムを推進し,このプロセスのなかで行動経済学を周到に「マーケティング」したのであった.このプログラムを推進する過程においては,経済学者と心理学者の割合を半々にし,そのどちらにも偏らないように細心の注意が図られたという.また,経済学者に受け入れられやすくするための細心の注意も怠らなかった.

 たとえば,1978年にノーベル賞を受賞していたハーバート・サイモンをこのプログラムにメンバーのリストに加えたこともそのことの現われである.しかしながら,先にも触れたが,カーネマン,トヴァースキとサイモンとでは研究アプローチの違いを反映して,「ヒューリスティクス」という言葉の意味は微妙に異なっていた.また,サイモンが期待効用理論に基づく新古典派経済学が最初から間違った方向に向かっていると考えているのに対して,カーネマンたちは,合理的選択の規範的モデルとして期待効用理論には全く問題ないと考えるなど,立場の違いは明らかだったのである.にもかかわらず,行動経済学者たちが次第に,ハーバート・サイモンがつくった「限定合理性」という言葉を,多少意味を変更しつつも,その枠組みの中に入れていったのは,サイモンに対する敬意を示すとともに,経済学者たちに対するアピールを考慮に入れてのことだったという.

 また,上述のプログラムを推進する際に,実験経済学を推進してきたヴァーノン・スミスを引き入れる試みもなされたようである.しかしながら,その試みは失敗に終わった.本連載の前回で述べたように,ヴァーノン・スミスの実験研究は,現実の市場において,時間を通じて経済主体がどのように合理性に近づいていくのかに焦点を当てたものであり,研究対象は市場にあったので,経済主体の「不合理性」を明らかにしようとすることは,そもそも彼の目的ではなかったのである.

 行動経済学も実験手法を用いているので,実験経済学とは蜜月の関係ではないかと思われがちである[1].しかし興味深いことに,実際にはそれほど「仲がよい」わけではない.興味ある読者は,たとえばヴァーノン・スミスのノーベル記念講演やその書籍化されたものを読んでみると,言葉の微妙なところに行動経済学に対する皮肉めいた態度が現われていることを発見できる[2]

 同じ実験といっても,それがどのような文脈のなかで活用されるのかによって異なった意味を持ちうることは,前回も述べたことである.社会科学のように,コンセプトやアプローチが多様でありうる分野では,このような違いがより大きな違いへと導くことになるのである.

 Heukelom (2014)はこのことに加えて,政治的立場の違いも影響したという興味深い指摘している.ヴァーノン・スミスは,自由主義経済を唱導する経済学者たちが設立したモンペルラン協会のメンバーとしても知られているが,行動経済学を立ち上げてきた主要な研究者であるセイラーはリベラルであったのだ.今日に至るまで,実験経済学,行動経済学は両方の陣営の側から差別化を図っている.

 しかし,行動経済学が今日のように受け入れられるようになった背景に,実験的手法が経済学で当然視されるようになったこと,またそのことを通じて,経済学において,道具的に合理的な経済主体の行動とは異なる行動が観察されることが主題化されるようになったことがあることは否定できない.このような意味で,実験経済学と行動経済学は人々の目に双子のような存在として映るのである

 ここまで3回にわたって,合理的経済主体を仮定して組み立てられる新古典派経済学を主流派としてきた経済学が20世紀後半において遂げてきた変容について語ってきた.ゲーム理論の浸透をきっかけとして,実験経済学や行動経済学が登場するようになり,経済学はもはや一貫した整合的体系としての姿を維持することが難しくなってきていることが読者にも理解してもらえたのではないかと思う.

 このプロセスは単線的な発展過程であるかのように思われがちである.すなわち,伝統的な新古典派理論が経済主体の完全合理性という非現実的な仮定をおき,現実を説明することができなくなったため,より高い現実妥当性を目指した結果,実験を取り込み,人間行動に切り込んできたのだというストーリーである.確かにそのような語り方も可能かもしれないが,そのような見方は単純すぎるといえよう.次回は,実験経済学や行動経済学が登場してきたとき,経済学はそれをどのように包摂できるのかということを検討するところから始めることにしたい.

[1] ここでの実験経済学は主としてヴァーノン・スミスとその後継者たちによって定義されている実験経済学であることに注意されたい.ゲーム理論の浸透が実験研究を促し,実験経済学研究を経済学の重要な構成物に押し上げたことを前回述べたが,ゲーム理論的実験研究とヴァーノン・スミスが考える実験経済学は,微妙に異なっている.この違いもまた,本文で述べたように,ヴァーノン・スミスの実験研究の焦点がどこにあるかを考えれば理解しやすいだろう.

[2] 「行動経済学者たちは,仮説的なものであれ現実的なものであれ,意思決定に対して,標準社会科学モデルの諸仮定がほとんどどこでも当てはまらないように思われることを示すという家内工業を作り上げてきた.これは,彼らの研究プログラムが「行動が標準モデルと異なる仕方を確認する」ための,明白に意図的な探索であるからである」(Smith 2008, p. 22f).

参考文献

Heukelom, F. (2014), Behavioral Economics: A History. New York, Cambridge University Press.
Kahneman, D. and A. Tversky (1979), “Prospect Theory: An Analysis of Decision under Risk,” Econometrica, Vol. 47(2), pp. 263-291.
Simon, H. (1955), “A Behavioral Model of Rational Choice,” The Quarterly Journal of Economics, Vol. 69, pp.99-118.
Smith, V. (2008), Rationality in Economics: Constructivist and Ecological Forms. New York, Cambridge University Press.
ダン・アリエリー(2008),『予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』,熊谷淳子訳,早川書房.
ダン・アリエリー(2010),『不合理だからすべてがうまくいく:行動経済学で「人を動かす」』,櫻井祐子訳,早川書房.
伊藤邦武(1997),『人間的な合理性の哲学:パスカルから現代まで』 勁草書房
ジョージ・エインズリー(2008),『誘惑される意志』,山形浩生訳,NTT出版
大垣昌夫・田中沙織(2014),『行動経済学』 有斐閣.
ダニエル・カーネマン(2014),『ファスト&スロー』,村井章子訳,早川書房.
キース・スタノヴィッチ(2008),『心は遺伝子の論理で決まるのか』,椋田直子訳,みすず書房.
リチャード・セイラー&キャス・サンスティーン(2009),『実践行動経済学:健康,富,幸福への聡明な選択』,遠藤真美訳,日経BP社.
ウィリアム・パウンドストーン(2010),『プライスレス:必ず得する行動経済学の法則』,松浦俊輔・小野木明恵訳,青土社.

文献案内

 伊藤邦武(1997)『人間的な合理性の哲学:パスカルから現代まで』 勁草書房

Ito(1997)不確実性下の意思決定を主題として,パスカル,ベイズ,ケインズ,ラムジー,サヴェジ,パース,ルイス等々の考え方を丁寧に解説してくれる好著.本文中でも述べたことだが,人類の歴史の中では,不確実性のある状況でどのような意思決定をすることが合理的なのかというテーマが一貫して追求されてきたのであって,人間の不合理性の探求ではなかったことを意識させてくれる.

 

ダン・アリエリー(2008),『予想どおりに不合理:行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』,熊谷淳子訳,早川書房(文庫版は2013年)
Ariely(2008)主に著者が行ってきた行動経済学研究を解説することを通して,人間の不合理性に潜む規則性を解説している本.各章で実験設計が解説されているので,彼独特の行動経済学的な実験(心理学実験に近い)のセンスを感じとることができる.アリエリーの行動経済学は実験中心で,既存の経済学との接合にそれほど重きを置かないことに特徴があるといえるかもしれない.