[ 連載 ]

読みたいから書く!

第3回 ヨーロッパ敗れたり――イスラム教に関するおそるべき無知と傲慢

2016年4月8日

 201601_NTT_増田バナー_02

 ウェルベック『服従』

 去年の9月に邦訳が出版されたばかりのミシェル・ウェルベック著『服従』(大塚桃訳、2015年、河出書房新社)がけっこう売れているらしい。平和で公正な選挙の末に、フランス共和国がイスラム化するという近未来小説だ。アメリカを中心とする「有志」軍によるシリア・イラクに対する執拗な空爆、それに対抗したイスラム国系のテロ活動、そして去年一挙に顕在化したが、実際には過去延々と続いていた内戦や国際武力紛争に見舞われた国々からヨーロッパへの難民の群れといった社会現象に便乗したセンセーショナリズムが図に当たったというところだろう。

 それにしても、研究対象であるユイスマンスに心酔している、若く将来を嘱望された文学者という触れ込みの主人公「ぼく」の人間造形の卑俗さ、薄っぺらなエゴイストぶりには恐れ入るほかない。まるで著者は、テーマの時事性さえホットなら、読者はどこまで軽蔑すべき人間に関する話でも喜んで受け入れるかという実験をしているようだ。冒頭近くにはソルボンヌ=パリ第三大学の准教授としてから最初の数年間の「ぼくの性生活」について、こう書いてある。「特記すべき展開はなかった。ぼくは、毎年のように、女子学生たちと寝た。彼女たちに対して教師という立場であることは、何かを変えるものではなかった。」(同書17頁)

  女子学生たちの中には、いい点を取るために、あるいは少なくとも単位を落とさないですむように教師と寝ることもあるというようなことは、つごうよく無視している。そしてガールフレンドのひとりに「あなたはマッチョだ」と言われて、平然として「実際のところ、女性が投票できるとか、男性と同じ学問をし、同じ職業に就くことがそれほどいい考えだと心から思ったことはない。今はみんな慣れっこになってるけど、本当のところ、それっていい考えなのかな」(同書35頁)と言ってのける。つまり、「ぼく」にとって、女性とは夫に性的な快楽とまっとうな料理を提供する従順な下僕に甘んずべき存在なのだ。

「服従」画像 そして、女性に対する姿勢が独りよがりなだけではなく、イスラム教勢力がヨーロッパで浸透しているという事実に対する認識も浅薄としか形容しようがない。サウジアラビアの王族が、ありあまるオイルマネーで政治家、官僚、大学教授ばかりか、一流大学まで丸ごと買収し、2番目、3番目の妻さえ、公然と持てることを武器に、知的エリートたちを籠絡する。無知な大衆は、もともと近代民主主義が想定する自分でものごとを考える市民として振る舞うにはあまりにも奴隷的な心性の持ち主ばかりなので、ポーリーヌ・レアージュ著『O嬢の物語』に登場する秘密の館にとらわれた美女たちがいつでも男性に命令されれば体を開くように、いつでも唯一神に心を開いた完全な服従状態であることに安心立命を得るというのだ。

 だいたいにおいて、平等な条件で布教競争をすると、ほとんど例外なくイスラム教がキリスト教に勝つし、かなりキリスト教に対して不利な条件に置かれていてもイスラム教が勝つことが多い。オランダの植民地支配のもとにあったインドネシアが独立するとともに、支配階級であったオランダ人やその周辺にいたインドネシア人たちに普及していたキリスト教はほとんど跡形もなく消滅したが、インドネシアという国は今なお世界最大のイスラム教徒人口を擁しているのは、ほんの一例に過ぎない。

イスラム教への無理解

 欧米の知識人は、まさに百花繚乱、ありとあらゆる思想信条を取り揃えて喧々諤々の論争を続けてきた。だが、十字軍の昔から、キリスト教は布教競争でイスラム教に勝てないという現実を直視しないことにおいて、一糸乱れぬ統一戦線を形成している。自分たちが信奉し、あるいは自分たちの身の回りにつねに存在しているキリスト教は、知性・理性・自由・平等・民主主義といった近代的な概念と共存できるが、イスラム教は戒律で信者をがんじがらめに縛りつける宗教であり、優れた男性に何人もの妻を持つことを許す以外にはほとんど取り柄がないと確信している。

 このキリスト教に対する過大評価とイスラム教に対する過小評価は、いずれヨーロッパ的な世界観が敗れ去るとき、崩壊のきっかけとなるだろう。考えてみれば、たんに軍事的な優越性だけではなく、経済、学芸、芸術あらゆる面でイスラム勢力が地中海文明圏を席巻していた時期でさえ、十字軍という荒くれ男たちの特攻隊を組織して、中東は言うに及ばず「友軍」であるはずの東ローマ帝国領土まで荒らしまわったヨーロッパ人たちは、イスラム教を無知な中東の原住民だけが騙される邪教としか見ていなかった。経済力・軍事力では欧米のほうがイスラム圏より優勢な現代にもこの偏見を維持しつづけているのは、当然なのかもしれない。

 だが、イスラム教は、キリスト教よりはるかに近代的な合理性を持った人間に訴える教義と宗教共同体を形成している。キリスト教徒の家に生まれるということは、極小分派である無教会・無牧師派でもないかぎり、誕生から埋葬まで人生のフシ目、フシ目に必ず教会にカネを巻き上げられることを意味する。ところが、キリスト教徒たちが自由な思考を貴ぶ人間性への冒涜と信じてやまないイスラム教の戒律の中には、絶対に宗教をカネ儲けのタネにしてはいけないというものがある。イスラム教徒の中にも、教義について造詣の深い先達と、その教えを乞う人々がいるが、先達は後輩たちを教え導くことを職業としてはならない。つまり、イスラム教世界に「聖職者」は存在しない。

 これも、現代のイスラム教徒に言わせるとだいぶ堕落して、事実上イスラム信仰を利用してカネ儲けをしている不届きものも出てきたらしい。しかし、何かにつけて信者からせびり取ったカネで莫大な資産ポートフォリオを運営しているカトリックやプロテスタント有力諸派に比べれば、児戯に等しい程度のものだ。イスラム教が信者に求める金銭的な負担は、富者による貧者への喜捨と、財力と体力がともなえば一生に一度はメッカへの大巡礼を行うこと、このふたつだけだ。教会という組織も神父や牧師という聖職も存在しないイスラム圏では、喜捨は純然たる自発的行為で、教会が強制的に徴収してピンハネをする機会はない。また、大巡礼を行ったからといって、死後の天国行きを約束されるわけではなく、ハッジという尊称で呼ばれる栄誉に浴するだけだ。

 一方、キリスト教世界では、清貧の誓いを立てたものだけが集まって結成した修道会が、軒並み大資産家に成り下がる。また、本来の教義とはほとんど無縁に、カトリックでは大司教や司教の「職」とそれに付随するさまざまな「役得」が世襲化することを恐れて、聖職者の妻帯禁止が早くから確立されていた。ローマ教皇を筆頭にその後の高位聖職者たちの強欲ぶりを見ると、これはこれで適切な措置だったのかもしれない。だが、とくにフランスではいまだに聖職者による幼児に対する強制わいせつスキャンダルが後を絶たない。それに比べれば、金銭的にも、性的にも、イスラム教世界のほうがずっと清潔だ。無神論者のあいだで、もし唯一神にすがりたくなったら、イスラム教を選ぶという人が多いのは十分納得のいく話だ。

「清潔さ」への認識

 さて、イスラム統治下のフランスについて、ウェルベックはなかなか巧妙に無邪気な愛国者にも、悲憤慷慨型の憂国の士にも訴求力の高そうなことを書いている。「SNCF(フランス国有鉄道)は、TGVではまだ最低限のサーヴィスを保証している」(同書182頁)が、「TER[在来線]はまったくメンテナンスもされず、ブリアンソン行きの列車は何度も故障し、1時間40分遅れてやっと駅に到着したのだ。トイレは詰まっていて、糞の混ざった水が廊下を覆い、コンパートメントまで流れこもうとしていた」(同書同頁。[ ]は引用者註)という近未来の仮想現実をゴロッと投げ出すのだ。

 「敬虔なクリスチャンが清潔で効率的な運行をしていたフランスの鉄道を、無知で粗野なイスラム教徒がめちゃめちゃにしてしまった」といったステレオタイプそのままの解釈で溜飲を下げたい向きには、そう思ってもらえばいい。「ローマ(カトリック)の長女とまで言われたキリスト教国が危急存亡のときに、軟弱な現代フランスの若者は、列車のトイレを詰まらせる程度の抵抗しかできないのか」と怒り狂う向きには、そう思ってもらえばいい。

 だが、ウェルベックは(そして、現代欧米知識人一般は)イスラム教圏でもヒンズー教圏でも仏教圏でも儒教圏でも、一般大衆はヨーロッパの一般大衆よりはるかに身ぎれいな生活習慣を確立し、維持していることを知っているのだろうか。そして、いったん疫病が発生したら隔離検疫以外に防御手段はないという不潔で過密な城塞都市に閉じこめられたヨーロッパ都市民からの切実な要求に迫られていたために、近代ヨーロッパにおける医学の長足の進歩があったという歴史認識を持っているのだろうか。

  こうなるともう、中世ヨーロッパで黒死病のような深刻な伝染病が起きるたびに、大規模なユダヤ人、イスラム教徒に対する迫害が起きたころと、ほとんど変わらない精神風土だ。医者でさえ生涯一度も風呂に入ったことがないのを自慢にするような土地柄だから当然と言ってしまえばそれまでだが、中世ヨーロッパでは農民だけではなく都市民も、神にぬかづくときでさえ手を洗わないことを誇りとし、礼拝前にはかならず手を洗うユダヤ人やイスラム教徒を不審の眼で見ていた。そして、疫病が流行るたびに「ユダヤ人やイスラム教徒が手を洗う習慣を持っているのは、我々を皆殺しにするために井戸に毒を入れたりするときに、自分で感染しないようにという用心だ」と曲解して、大量虐殺や拷問にかけての強制的改宗を正当化していたのだ。

 さて、イスラム教に改宗した「ぼく」は、めでたく大学教授の職を得る。イスラム教支配下では言論の自由などないと決めつけて学者としての人生は終わったと悲嘆にくれながらも、公然と第2、第3の妻をめとることのできる将来に心浮き立たせている。「女子学生たちは皆が、どんなに可愛い子も、僕に選ばれるのを幸福で誇りに思うに違いないし、ぼくと床を共にして光栄に思うだろう。彼女たちは、愛されるにふさわしいだろうし、ぼくのほうも、彼女たちを愛することができるだろう。……ぼくは何も後悔しないだろう」という能天気なハーレム願望丸出しの文章とともに、この本は終わる。

 現代フランス知識人男性の少なくとも一部が、平均的なイスラム教徒よりはるかに男尊女卑の心情に凝り固まっていることを教えられたという点では、貴重な読書体験だった。この本、てっきり初めからヨーロッパに蔓延するイスラムフォビア(恐怖症)を当てこんだきわものと思っていた。ところがウェルベックは、ユイスマンス研究に打ちこむ若い文学者が、ついにカトリックに改宗するというテーマで書こうとしたが、なかなか説得力のある話にならなかった。それが、公然と複数の妻を持てるイスラムへの改宗に話を変えてみたら、改宗の動機も説得力が出てきて、すらすら書けたということらしい。

バルディック『ユイスマンス伝』

 それにしても、ウェルベックの小賢しく、女漁りさえガツガツはやらず、ぐうたらにやってのけるところがなんとカッコいいことかと自己陶酔する「ぼく」と、一生世界で自分が占めるべき場所を探しあぐねていたようなユイスマンスとのあいだには、ほとんど共通点はなく、違うところばかり多すぎる。これは『さかしま』は本屋の棚でパラパラっとめくって退屈そうなので敬遠し、ジル・ドレの幼児大量虐殺と19世紀後半の悪魔崇拝を並行して描いた『彼方』は、道具立てのおどろおどろしさになんとか読み切った平凡な読者にとっても、違和感が大きすぎる取り合わせだった。

 そこで、非常に詳細なリサーチの結果であるロバート・バルディック著『ユイスマンス伝』(岡谷公二訳、1996年、学習研究社)を読んでみた。やはり、「ぼく」とユイスマンスはほとんどなんの共通点もない、ほぼ対極に位置する人間だった。それどころか、読者の興味をつなぐために取ってつけたようなセックス描写を小器用にちりばめるウェルベックとも、ユイスマンスはなんの共通点もない人間だった。

 ユイスマンスが作家としていちばん悩んでいたのは、自分の小説ではほとんど何の事件も起きないことだった。決して本人の人生に事件が起きなかったわけではない。それどころか、二度の世界大戦を経験した現代人には色あせて見えても、ルイ・ボナパルトの第二帝政フランスがあっけなく敗北した普仏戦争に一兵卒として駆り出され、パリ・コミューン参加者たちの死骸が転がっているパリに帰ったというような衝撃に満ちた体験もしている。そして、この体験をなんとか『飢え』という長編小説にまとめようとしたが、結局未完に終わっている。

ユイスマンス伝画像 ユイスマンスが自分の創作上の欠点に気付かないほど凡庸な人間だったとしたら、この欠陥は当人をあれほど厭世的な人間にしなかったかもしれない。だが、ユイスマンスは世界中でだれよりも早く、題材も構図も古典派の猿真似をしているだけの画壇アカデミズムに反旗を翻した印象派の画家たちや、印象派とは表面的には正反対のギュスターヴ・モローやオディロン・ルドンの幻想的な画風を、画壇アカデミズムへの反逆として正しく評価していた。それほど頭脳も明晰だし、美的感覚も優れた美術評論家だった。絵画の世界でのユイスマンスの貢献度の高さは、彼に「鈍い色彩」を指摘されたゴーギャンが、株式仲買人としての収入を捨ててタヒチに移住する決意を固めたことにも表れている。

 それほど、批評眼の確かなユイスマンスが、自分の小説の中ではどうがんばっても事件らしい事件が起きないという欠陥に気付かないわけはない。最初は師とあおぎ、のちには弟子たちに教条的な「自然主義」を押し付けるので疎遠になっていったエミール・ゾラの自然主義の絵解きのような小説ほどにも、事件が起きないのだ。下級官吏としての生活は安定していたが、作家として大成することをつねに夢見ていたユイスマンスにとって、自分には何万部、何十万部という売れ筋の小説は書けないという諦念がいかに過酷なものだったかは、容易に想像がつく。

 ユイスマンスはオランダ生まれだが、フランスに帰化した石版画・細密画専門の売れない画家と生粋のパリ娘とのあいだに生まれた第一子だった。だが、あまり注文が入らず、両親のあいだでいさかいが絶えなくなったころ、父親が若死にし、母親は印刷工場を経営する再婚相手とのあいだに2人の娘を産む。それからは、ユイスマンスに冷たく当たるようになる。なんとかバカレロアに及第したあと、内務省に下級官吏の職を得たユイスマンスは、大衆劇場の花形女優と結婚する。だが、ほとんど家事もせずに愚痴ばかり言っているかつての花形女優は、明らかにユイスマンスの子ではない娘を出産する。それでも、結局この母子との関係が破局にいたるまでは、ユイスマンスは律儀に親子3人の家計を支えつづけた。

 女子学生に囲まれた文学部の大学教師という立場をフル活用して気ままな独身生活をエンジョイする「ぼく」とは似ても似つかぬ人生だ。おそらく、ユイスマンスはたんにこうした経験を通じで「女嫌い」になったのではなく、もともとの生い立ちからある程度以上に親密な人間関係を拒絶してしまうような人間だったのだろう。

 決して情愛に欠けた人間ではなかった。それどころか、呑んだくれで悪評の高かったヴェルレーヌが勤め先の役所のすぐ前のカフェからボーイに伝言を届けさせると、気もそぞろになり、2度目の伝言でボーイが「ヴェルレーヌさんは泣いてますよ」と言ったりすると、矢も楯もたまらずに駆けつけるような優しい人間だった。

 また、友人の小説家で、マルタ騎士団会長の末裔という高貴な生まれのヴィリエ・ド・リラダン伯爵は、若いころはヨーロッパ中で文壇の寵児ともてはやされると同時に、プロボクサーのサンドバック代わりを務めるほど敏捷で頑健な肉体の持ち主でもあった。だが、零落してから、女中に生ませた子どもをたんに認知するだけではなく正嫡の息子として人生を送れるようにと、ユイスマンスはヴィリエの今はの際に、この誇り高い伯爵を女中と結婚させるための説得役を買って出たこともあった。

 つまり、自分の私生活にズカズカ踏みこんでこない相手になら、ほとんど無限の情愛を注ぐこともできる人間だった。だが、どんなに次々に発表した小説の主人公を自分の分身として描いても、自分の内面生活に読者が入りこむことを拒絶する姿勢が、事件の起きない小説しか書けない創作上の問題と密接に関連していたのだろう。

 時空を超えた悪魔主義探求という道具立てで、それまでの小説よりはるかに多くの読者を獲得した『彼方』の中で、ユイスマンスは薔薇十字会という神秘主義結社を冷笑的に描いた。しかし、あくまでも派手な事件を起こせない小説創作上のボトルネックを突破する手段だったはずの悪魔主義に自分もとらわれてしまい、薔薇十字会などによる霊的な攻撃から身を守るために、ブーランという破戒僧の言うなりになって、悪魔祓いの秘薬やら呪文やらに頼るまでに精神的な衰弱が進んでいた。元司祭のブーランは、誘惑した修道女に生ませた乳児をいけにえの儀式で殺した男だが、完全な狂人ではなく、信者たちの中では如才なく振る舞う唾棄すべき小悪党だった。

 そんな人間に頼ってまで悪魔主義者たちからの霊的攻撃を防ごうとしていたユイスマンスにとって、カトリックへの回帰は、心の底からの安らぎを与えてくれたのだろう。もちろん、死の直前にいたるまで旺盛な批判精神は健在だった。聖地ルルドが醜悪な観光地化していることを嘆いたり、修道院が清貧の誓いを立てた人々が静かに祈り、瞑想し、働く場所ではなく、まるで軍隊のような組織になってしまったことに愚痴を言ったりしている。だが、大学教授の職を得、公然と複数の妻を持つために計算づくでイスラムに改宗する人間とは、およそ相容れない不器用で苦悩に満ちた人生が19世紀末から20世紀初めのヨーロッパにはありえた。今はとうていありそうもないことが、しみじみとさびしい。