[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

第6回 『藍の時代 一期一会』 (車田正美・秋田書店)

2016年3月9日

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 今回は、いささか主観的な内容になるかもしれない。

 というのも、今回取り上げるのが、私が少年マンガにのめり込む大きなキッカケになった「リングにかけろ」の作者・車田正美氏の自伝的な作品だからだ。

 もともとマンガ大好きで少女マンガを中心に愛読している小学生だった私が高学年の頃だったと思う。たまたま古本屋で「たしか、弟が好きだと言ってたな」とお土産気分で買って帰った「リングにかけろ」の単行本1巻。ボクシングをテーマにしたこの作品、読んでみるとあまりに面白くて、弟のではなく自分の本棚にいそいそとしまって次々と続きを買い、出ている単行本を読み尽くすと最新連載回が掲載された『週刊少年ジャンプ』を追いかけて読み始めた。新しい単行本が出るときはもちろん本屋に予約。当時住んでいた九州では流通の関係か雑誌も単行本も発売日が1~2日遅れるのが常だったので、まだ入ってないだろうとわかりつつ、ついつい発売日には本屋に足を運び「まだだった…」とうなだれて帰宅、数日後に到着した新刊を、読み終えるのがもったいないような気持ちで心躍らせて読んでいたものである。おそらく、繊細な心情を描写した少女マンガを読むときとはまたひと味違う、強烈なキャラクターとくっきりとした展開に心をわしづかみにされたように思うのだ。

 さて、その「リングにかけろ」の作者が、マンガ家生活40周年の節目に描いた本作の内容は、時期的にはご本人の中学3年生からデビュー数年後まで。特別な夢や志もなかった車田正美(本編では”東田正巳”)少年が、迷いながらもマンガ家を志し、やがて己のマンガを見いだしプロのマンガ家になっていく……というものだ。

 オビには「車田正美が描く衝撃の超自伝!!」と謳われ(「超自伝」という文字に「エンターテインメント」とふりがながふられている!)、表紙をめくればカラーページに極太の文字で

「この物語は事実をもとにしたフィクションである」

と書かれ、またご本人のインタビューでも語られているように、本作には全編、よりドラマチックな方向に大幅な脚色が加えられているようだ。

 たとえば、当時は新人マンガ家だった本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」に高校生の東田は大変な感銘を受けるのだが、なんと本宮マンガを読んだことで東田が、「本宮氏本人のケンカを目撃した」ことを思い出す……という架空のエピソードが描かれるのだ。

 これはもちろん、「その方がマンガとして、展開が派手でわかりやすくなる」からでもあると思うが、同時に作者にとって「主観的には、俺の目の前で、本宮先生がケンカしてる姿を目の当たりにしたような衝撃を受けた」という表現でもあるのではないか。本作では本宮氏が三人のチンピラとたった一人でケンカしたことになっているが、若き本宮ひろ志が作品を通してやってのけたのはある意味で「(東田少年と同じように)後ろ盾も学歴もない若者が、ペン1本で行った、一千万読者(=世間)に対するケンカ」のようなものだったのだから。

 

 それにしても、 車田正美は不思議なマンガ家だ。

 車田氏といえば、「リングにかけろ」や「聖闘士星矢」など、熱く爽快なエンターテインメント作品で少年マンガの世界で長い間圧倒的な人気を博してきたマンガ家だが、個人的に長年、とても不思議に感じているのが、「相反する要素をあわせもっている作家」だと感じられるところなのだ。特に、以下にあげる2つの点が特徴的だと思う。

 1)作品に少年マンガ的な熱血と、美麗さが共存している

 私が愛読していた昭和の時代から、コミックス(単行本)の作者コメント等で車田氏はしきりと「男とはかくあるべし」「こうでなければ男じゃない」といった美学を語られてきたし、作品の中でもそういった(古典的とも言える)主張が、しばしば見うけられる。

 ならば、実際の作品でも主張通り、むくつけき男たちの筋肉と筋肉、力と力が激突し、女性は古風に男性につき従っておとなしく守られているばかりなのかといえば、さにあらず。

 初期から男まさりの強い女性がしばしば登場する(そもそも出世作「スケバンあらし」も強い女性が主人公である)のも、当時の少年マンガとしては珍しかったし、さらに主人公のライバルたち(闘いの後に仲間となる)にもまた、少女のごとき美貌の少年たちがひんぱんに登場するのだ。

 つまり、いい意味で「言ってることとやってることが違う」というか、乱暴な比喩をさせていただくなら「硬派な主張を、(いい意味で)軟派な手法で描いている」とでも言うべき、不思議な柔軟さがあるのだ。

 私の小学生の時代(1970年代半ば~80年前後)は、まだ少年マンガ誌は全体に男っぽい雰囲気の作品が多く、いまよりずっと女子が読むには心理的に敷居が高かったのだが、「リングにかけろ」には少年読者のみならず多数の女子読者がいたのも、車田氏のそのセンスが、女子にとって当時はまだ高かった少年マンガへの垣根を越えさせてくれたのだと思う(そう、これは後の時代からはわかりづらいことなので、ちゃんと言っておかないと、と思うのだが、車田氏が最初のヒットを飛ばした1970年代後半から1980年前後、車田氏の描線は少年誌のなかではかなり「シャープ」で「流麗」で、少年読者はもちろん、女子読者にも入っていきやすい魅力をもっていたのである!)。

 余談ながら、本名だという「車田正美」という名前も、「車」「田」「正」と直線で構成されたキッパリとした強い印象の文字のつらなりだが、名前自体は「正美」という一見すると性別すらわからない、いわば両性具有的ともいえる響きをもっている。本名なのだからご本人が意図したわけではないと思うが、これも不思議と作風と相通じているのである。

 2)不良(ツッパリ)的センスとオタク的センスの混在

 本作では何度も、過去の東田(車田)氏のことが

「秀才(インテリ)にはほど遠く 不良(ツッパリ)にもなりきれず」

というフレーズで語られるのだが、本宮マンガに衝撃を受けたことや、本作に登場する持ち込み時代の作品から推測するに、なりきれないと言いつつも車田氏自身は、あきらかに優等生よりは「不良(ツッパリ)」サイドにシンパシーを抱くタイプの若者だったように感じられる。

 だが、その「不良(ツッパリ)」的な心情にもかかわらず、(多くのマンガ家がそうであるように)作品を描き続けていくうちに氏の絵柄が変わっていくうえで、かなり独特な方向性に変化していったのだ。

 たとえば、車田氏が私淑したという本宮ひろ志氏のペンタッチは、のちに青年マンガへシフトしていった際も荒々しさを残し続けたが、車田氏のタッチは前述のようにシャープな方向に進化し、印象的にはより(あくまで感覚的な印象で、正確な表現ではなくて恐縮だが)なんというか「アニメっぽい」タッチになっていったように感じられた。

 これまでの発言などを追うと、車田氏ご自身には「不良(ツッパリ)」センスはあっても、のちにオタクと名付けられるようなアニメ好きっぽい感性は、あまり感じられない。それなのに、作品には(絵柄も含めて)虚構の方向性がアニメ的というか、アニメばえする要素がふんだんに登場して読者を釘付けにする、というのもとても不思議なところだ。思えば大ヒット作「聖闘士星矢」の、聖衣(クロス)といった道具立てや「聖闘士」と書いて「セイント」と読ませるセンスも、麗々しい当て字を多用する当時の不良(ツッパリ)や、のちのヤンキー的感性とオタク的な感性が絶妙に融合しているように感じる。ここにも「主張(不良・ツッパリ的)」と「手法(オタク的)」という、一見相性が悪そうな要素の不思議な両立があるなあ……と思うが、ご自身が「秀才(インテリ)にはほど遠く 不良(ツッパリ)にもなりきれず」と自虐的に語られる「なりきれなさ」は、逆に言えば双方に足のかかった感性として、対極にありそうな「不良(ツッパリ)」とオタク(的センス)」を融合させ、独自の車田ワールドを生みだしているのかもしれない。

 本作で、デビューは果たしたものの地味な作風でブレイクしきれなかった若き東田青年は、連載が打ち切られそうな崖っぷちに立ったとき、「漫画とはなにか?」と考え抜く。

 そして、気づくのだ。

「漫画は娯楽だ!」「面白くなきゃ意味がない!」

 そのとき新人マンガ家だった東田青年は、主人公に必殺技を授け、主人公と同等かそれ以上に魅力的なライバルとの対決を描くことで人気作家にのし上がっていくことになる。本作は、そうやってヒットの法則を体得していった車田氏が、自分のメソッドで描いた「超自伝」なのだ。

 一ファンとしては、たとえ多少地味でも事実に基づいたエピソードを知りたかった……という気持ちもあるのだが(実際は『週刊少年ジャンプ』で連載された「リングにかけろ」が『週刊少年チャンピオン』連載したことになっていたりする)、自伝であると同時にマンガ作品でもある以上、きっとこれが人気作家として第一線を生き抜いてきた作者の、過剰なまでの「サービス精神」なのだろう。

 そして、40年間過酷なマンガ家という職業を続けてきた、ひたすら輝かしい「成功譚」かと思いきや、単行本一冊を読み終えてみると読後感は意外にもほろ苦い。特別ななにかを持つわけではない一人の青年が、マンガに一縷の望みを託してもがき試行錯誤し、ついに何かをつかみ取る。だがそうやって描かれた作品は、読者を別世界にいざなう力強さをもちながらも、同時に次の週にはふたたび気まぐれな読者の冷徹なジャッジを受ける過酷な運命にある。一筋の希望であると同時に、ひどく残酷でもある週刊のマンガ連載にかけた青春は、雑誌にマンガが印刷される際の藍色のインク(少年マンガの読者が一番好む色だという)のように、さまざまなものを含んで「爽やかな青というよりくすんだ藍色」をしていた……ということなのだろうか。病に倒れた友人や道を踏み外してしまったかつての仲間、マンガの魔力に足を取られた先輩たちのことも描き出しながら、しかしその手法は長年の週刊連載の中で鍛えられた「車田メソッド」で、よりマンガ的に誇張・脚色されて表現されるのだ。

 そんな車田作品のエッセンスがぎゅっと詰まった、「車田流マンガ道」の一冊。

 個人的には、この続きもぜひ読んでみたい。そのときは、もっと事実によった方向だとより嬉しいが、骨の髄までエンターテインメント作家の氏には一笑に付されてしまう希望かもしれない。そんな勝手な願いを思わず抱いてしまう、熱い一冊なのである。