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読みたいから書く!

第1回『ヨーロッパ文明の正体』(下田淳)を読む

2105年12月25日

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始まり始まり…

 バルザックは、「そんなに立て続けに長編小説を書いていて、ネタ切れで困ることはありませんか?」といった質問をされて、こう答えたそうだ。「いや、1冊書くと必ず脇役や端役でこいつは1冊の主人公になると思えるキャラクターが2~3人出てきます。そして、その人間が映える舞台をつくってやれば、勝手に動き回ってくれるんです。だから、そんな不安は感じたこともありません」

 あの文豪に自分をたとえるのはおこがましいが、私も1冊本を書くと必ず「これは1冊のテーマになる」と思える話題が2~3つ出てくる。ただ、作家は小説世界の創造主だから、おもしろければ何を書いてもいいが、ノンフィクションの書き手が事実無根のデマを書いていたのではだれにも相手にされなくなってしまう。そこで、次々に出てくるテーマを本に仕立てるために、ひと事実、ひと理屈探そうということになる。

 そうなって気づいたことがある。「この話を補強する素材はないか」と必死に探し回った本は、漫然と「何かおもしろい本はないかな」と思って読みはじめた本より、ずっと自分の世界を広げてくれる発見が多いという事実だ。してみると、自分が性懲りもなく本を書きつづけているのは、書くために読むつもりで読んだ本のほうが新しい出会いをもたらしてくれるからではないだろうか。この連載では、そんなふうに出会ったおもしろい本をご紹介していきたい。

 なぜ「ヨーロッパ」にだけ資本主義が生まれたか

 このシリーズ第1回としては、私が以前からなんとかひと理屈こねたいと考えていた、資本主義誕生に戦争が果たした役割について鋭く切りこんだ本を取り上げさせていただいた。そこで発見したのは、著者はそういうことば遣いをしていないが、世の中には「棲み分けの世界」と「棲ませ分けの世界」があるという事実だった。

 下田淳著『ヨーロッパ文明の正体――何が資本主義を駆動させたか』(2013年、筑摩選書)は、なんとも不思議な本だ。なぜ現代人であれば世界中どこに住んでいようと「縛られている資本主義……というシステムが、フランス革命に代表される封建制・身分制の廃棄と『産業革命』といわれる工業化の後にヨーロッパに現出したのか」(14頁、以下引用のあとの頁数は本書の頁を指す)という壮大な問題を提起した直後に、「私は、ヨーロッパ中心史観は嫌いだけれども、もう一度ヨーロッパ(あえて地理的に言えば西ヨーロッパ)の歴史と真剣に向かい合わねばならない」(同頁)と書き起こしている。

 結論として、下田は資本主義が現代人の生き方に対する拘束であり、その縛りから解放されるためにはヨーロッパ中心史観から脱却しなければならないという勇気ある問題提起にふさわしい解答を見出せたのだろうか。もちろん、「ヨーロッパは古代ギリシャ・ローマのころから、立派な人たちが高邁な理想を持って国家を運営していたから、つねに世界の中心であり、世界文明の発展をリードしていた」などという能天気なヨーロッパ賛美論は展開していない。 

 しかし、最終的には「なぜヨーロッパにだけ、『万人が富の分配に与るチャンスのある市場システム』(富の棲み分け)が形成されたのだろうか」(192頁)と書いて、市場経済と資本主義を混同したヨーロッパ賛美論になってしまっている。下田は欧米人の大部分、そしてヨーロッパに対する崇敬の念置くあたわざる知識人のように、無批判にヨーロッパを褒めそやしているわけではない。「ヨーロッパは自ら何も持たないから外に出て行かざるを得なかった」(152頁)といった、ヨーロッパ文明に潜んでいた本質的な制約も直視している。

 「ある意味、ヨーロッパの地理的位置が『不利』であったのだ。自文明内にも近隣にも何もないから外へ出て行かざるを得なかった。金と香辛料を求めて、苦労して『東方への道』を探さなくてはならなかった。これが結果的には良かった」(153頁)のはたしかに歴史的な事実だ。だが、これが即戦争と略奪と殺戮の道でもあったことに、彼は正面から向き合ってはいない。「諸権力が対峙していること、戦争の脅威、現実の戦争、これらは、悲しいかな、科学技術に限っていえば『プラス』面が多いのである」(141頁)という「勝てば官軍」の論理に逃げてしまっている。

 能動的?強制的?一般大衆を「棲み分けさせる」という発想

 下田自身も認めているように、ヨーロッパの世界制覇は「万人が富の分配に与るチャンスのある市場システム」の普及のおかげではなかった。何よりもまず、乏しい資源に対してあまりにも多くの人口を抱えたヨーロッパ諸国が、やみくもに世界中の非ヨーロッパ圏文明に対する侵略と征服を仕掛け、そのために異常に強大な軍事力を蓄積して、この目標をほぼ達成してしまったというのが実情なのだ。日本がたまたま欧米諸国による植民地化の被害なしで市場システムの恩恵に与れた稀有な例外であったという事実は、欧米諸国による世界の植民地化を容認する根拠とはならないだろう。

 そして、下田が市場経済と資本主義を混同し、雄図むなしく「ヨーロッパは貧しい環境に置かれていたからこそ、世界の覇者に成り上がった」という裏返しの環境決定論に陥ってしまった原因は、一見ささいな用語法のまちがいにあるような気がする。下田は、14世紀に猖獗をきわめた黒死病(ペスト)の被害を最小化するために隔離検疫や公衆衛生の思想が芽生えただけではなく、それを実行に移せたのは「『空間を能動的に棲み分けさせる』という発想」(46頁)を持ったヨーロッパだけだったと書いている。

 この「能動的」という形容がくせものだ。純文科系を自認する下田にとって、ポジティブさや積極性を意味する能動的ということばは、明るい未来を進んで選び取る進取の気性といった印象があまりにも強いのではなかろうか。私も純文科系であることにかけては人後に落ちないが、自然科学系や工学系の人たちとも多少付き合うようになるまでは、ポジティブ・フィードバックというのは、日本語で好循環を意味する好ましい状態だと思いこんでいて、最後は爆縮か拡散しかない暴走経路のことだとは知らなかった。

 実際に「棲み分けさせる」ことができるという現実は、一般大衆がどこに住み、どこで働き、どこで買いものをし、どこで遊ぶかを自由自在に操作することのできる強大な権威・権力の存在を前提しているのだ。まったく同じ文脈で「空間を『強制的』に棲み分けさせる」と表現したら、この強大な権威・権力の存在はいやでも意識せざるを得なかっただろう。

 おそらく下田は「強制的」ということばを使うとあまりにも否定的なニュアンスが強すぎて、「資本主義発展の駆動力」を初めからマイナスの価値で見てしまう読者が多くなることを危惧して、「能動的」ということばにしたのだろう。ところが、「能動的」という表現も価値中立的ではなく、「強制的」とは逆に好ましい状態を示唆することが多い。そして、この用語法に引きずられて、冒頭では「現在われわれが縛られている資本主義」と形容していた市場経済の亜種についても、いつの間にかヨーロッパの世界制覇と表裏一体となった輝かしい発展と見るようになっていったのではないだろうか。

 資本主義は「市場経済の劣化した姿」に他ならない

 資本主義は、けっして市場経済が健全に発展した完成形ではない。それどころか、自由な個人の交渉によって自然発生的に成立する市場経済からは大きく逸脱した経済のあり方だ。もっとはっきり言えば、初めから特権階級の人間がボロ儲けするように設計された植民地に移植されることによって成立した、市場経済の劣化した姿なのだ。

 あまりにも往々にして、イギリスは「資本主義の母国」と呼ばれる。だが、イギリスが市場経済と産業革命の発展を先導していた時代には、これまた往々にして「市場の失敗」と呼ばれる、資本の際限ない自己増殖と利益率上昇によって、勤労者の生活がどんどん貧困化していくといった事態は、皆無とは言えないまでもほとんど見られなかった。基幹産業の寡占化もあまり進まず、政府は民間企業がどんな分野にチャンスを見出して、研究開発や設備投資に資金を投ずるかについて、まったくといっていいほど干渉も介入もしなかった。

 むしろ、イギリスでは資本の利益率は慢性的に低下し、勤労者の実質所得がじりじり拡大していくのが、平和で豊かな市場経済の国の健全な姿だという認識が、主流を占めていた。もちろん、その背景には人口ばかりか経済規模でもはるかにイギリス本国より巨大なインドの植民地化に成功したので、インドから徹底的な収奪をすることによって本国の臣民に対しては余裕のある態度で臨めたという事情もあった。だから、手放しで称賛できる話ではないが。

 その後、市場経済の推進役は、大英帝国という宗主国は追い払ったが、利権集団がちゃっかり後釜に居座ってしまったアメリカに変わった。このころから、主要産業で寡占企業が肥大化し、寡占企業同士の弱肉強食の世界を勝ち抜いた事実上の独占企業が誕生し、成り上がりの強盗貴族たちが豪勢に札びらを切る一方で、平均的な勤労者の生活水準向上は著しく減速するという、まさに植民地的に劣化した市場経済である資本主義の弊害が「市場の失敗」と呼ばれるようになったのだ。

 この市場経済が植民地経営によってどんどん介入主義、操作主義、統制主義的に変質したのが資本主義なのだという全体像を見失わないように、「能動的な棲み分け」といういかにもプラスの価値がありそうな用語法を、「棲ませ分け」という見るからに不自然で奇異な印象のある新造語に書き換えるべきだと提案したい。リリースしたシングル盤の枚数に対するヒット曲数が驚異的な高水準だったちあきなおみの持ち歌のひとつに、『冬隣』という埋もれた名曲がある。夭折した夫が若いままの思い出として生き続けるのに、自分は老いていくやりきれなさを切々と歌った妻の歌だ。

 このタイトルを聞いて、「冬の隣というと、春だろうか、秋だろうか」と考える人がいるだろうか。そういう「合理主義」一点張りの思考をする人もいるかもしれないが、冬と言ったり、真冬と言ったりするよりさらに寒々とした荒涼たる風景を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。同じように、「棲む」という自動詞の他動詞形である「棲ませる」も「分ける」もありきたりのことばだが、このふたつを合わせるとどこか異常な感じがする。他人の生活基盤を強権によって移し替えるというのは、それぐらい異様なことなのだ。

 「能動的な棲み分け」を「棲ませ分け」と呼びかえれば、植民地というあらかじめ利権集団によって設計された社会でこそ満面開花した介入主義的で、操作主義的で、統制主義的な資本主義の本質的な欠陥が明らかになるし、それは市場経済の常道からはずれた脇道だということもはっきりするはずだ。その意味で『ヨーロッパ文明の正体』は、ほんのわずかな表現上の問題のために、画期的な文明論であるとともに、近代経済史の名著になるという大魚を逸したケースと評価すべきだろう。

 「棲み分け」と「棲ませ分け」の違い

ここで、下田の「自生的・生態学的な棲み分け」と「能動的な棲み分け」という区分法に触発されて私が思いついた、両者の違いを列挙した表をご覧いただきたい。

 増田第1回図1(3)

注:下田淳『ヨーロッパ文明の正体――何が資本主義経済を駆動させたか』(2013年、筑摩選書)に触発されて作成

  下から2番目の項目に「都市計画の有無」が登場することに奇異の感を抱く読者もいらっしゃるだろう。だが、都市計画とは「権力者には一般大衆を鉢植えの植物のようにどこにでも移動させる権利がある」という、徹底した大衆蔑視の思想だ。特定の土地に生まれ育った人間は、生活の基盤となる場所でさまざまな人間関係のネットワークを築いている。そのネットワークをたかが美観というような主観的な価値のために、権力者が自由自在に「ここに住め」「ここで仕事をせよ」「ここで買いものをせよ」「ここで遊べ」といった変化を強要して分断することが崇高な事業だという妄想にとらわれた一大愚行が、都市計画の本質なのだ。

 ここでもまた、ヨーロッパびいきの日本の知識人のあいだで普及している大きな誤解に、「ヨーロッパの都市は、都市計画によって整然とした美しさを獲得した」という考えがある。下田も、「ヨーロッパの都市はまるで模型のように整然としている」(48頁)のは「さまざまな都市計画の構想・立案・法制化・建設は、工業化の進むヨーロッパの都市ですでに19世紀前半からおこなわれていた」(47頁)ことが原因であるかのように書いている。だが、これは「能動的な棲み分け」というポジティブ感あふれることばの魔力に引きずられて、都市計画という発想自体の非人間的な本質を見失っていないだろうか。

 植民地は、大規模都市計画の本場である

 大中小さまざまな規模のヨーロッパの都市を経めぐっているはずのドイツ中・近世史専攻の下田にこんなことを指摘するのはまさに釈迦に説法だが、ヨーロッパで都市計画が実際に整然とした街並みの形成に成功した事例は、非常に少ない。1755年のポルトガル大震災直後に国王ジョゼ一世が寵臣ポンバル侯爵に強大な権限を与えてやらせたリスボン復興、1853年にナポレオン三世がセーヌ県知事に任命したジョルジュ・オスマンに命令してやらせたパリ大改造と、ムッソリーニが1942年開催予定だったローマ万博の敷地として1935年に建設を開始させたローマ近郊のEUR地区くらいのものだ。

 その他の大多数のヨーロッパ都市も、遠景で眺望するかぎりでは整然としているように見える。だがそれは、住民が同じ素材、同じ色調、同じ建築様式を守るほうが美しいことに同意して、自主的に協力しているからこそ維持されている街並みのおかげなのだ。古くからの市街地は、狭い路地や横丁が錯綜した分かりにくい道路網のままで、整然たる都市計画とは無縁の世界でありつづけている。

 ロンドンなどはその程度の協調もないので、見るからに雑然としている。また、ロンドンでもっとも伝統と格式の高い地域であるシティ周辺は、いまだに徒歩がいちばん効率的な交通手段であるほど路地、横町、裏道、抜け道の多い無秩序な街区の集積だ。都市としての経済効率が高いのは、人為的な機能の切り分けをせず、雑多な機能が歩いて行ける距離の中に混在している、自然に成長した街並みなのだ。

 棲ませ分けの世界である植民地こそ、大規模都市計画の本場だ。先住民を絶滅寸前まで衰亡させて、白紙の大地に自由に思い描いたとおりの街並みをつくれるようにしてしまった南北アメリカ大陸がその典型だ。アメリカの商業首都ニューヨークは、おそらく世界でもっとも整然とした碁盤の目のような格子状都市だろう。そして、政治首都ワシントンは、同心円状に広がった市街地を放射線状の幹線道路が貫く都市計画の典型だ。ワシントンが政治家、高級官僚、ロビイスト、弁護士といった利権集団が軒を並べる超高額所得層居住区と、黒人やヒスパニックの貧困層の吹き溜まりになってしまった地域とにはっきり分かれているのは、このあまりにも人工的な都市計画と無縁ではありえない。

 さらに、ウェブサイト『ビジネス・インサイダー』の2015年1月23日のエントリーとして公表された「世界の50大暴力犯罪多発都市」のリストを見ると、南北アメリカ大陸・カリブ海諸国と南アフリカで宗主国から送りこまれた権力者や、宗主国に権限を授与された現地の特権階級が、現地の一般住民に都市計画を押し付けて成立した都市がたったひとつの例外もなく並んでいる。主観を排して、人口10万人当たりの殺人事件発生件数でランキングしたものだが、国別ではトップが19都市のブラジル、2位が10都市のメキシコ、3位が5都市のコロンビア、同率4位が4都市ずつのベネズエラとアメリカになっていた。いまだに「都市計画の優れた成功例」と呼ばれることの多いクリチバも、ちゃんと44位に入っている。

 植民地が宗主国による支配を脱却したのは、早い地域では200年以上、遅い地域でも数十年昔のことだ。しかし、棲ませ分けを強制された人たちの反抗は今もなお続き、暴力犯罪多発地帯でありつづけている。そして、先進諸国で唯一堂々の4位に入選したアメリカでは、民主・共和の2大政党がどちらもロビイストを通じて利権集団の走狗となって、抜け目なくチャンスをとらえてボロ儲けしたものが勝ちという植民地的な政治・経済すなわち資本主義を墨守している。

 「棲み分けの市民社会・市場経済」と「棲ませ分けの植民地社会・資本主義経済」とに切り分ければ、こうした実態が鮮明に浮かび上がっただろう。その意味でも、下田が他人の生活の場を強権的に移動させる行為を「強制的な棲み分け=棲ませ分け」と呼ばず、なんとなく立派なことのように思える「能動的な棲み分け」という表現に固執したことが惜しまれる。