[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

第3回 『ギャングース』鈴木大介×肥谷圭介

2015年10月23日

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 未成年でありながら保護してくれる存在がないとき、この国で、人はどうやって生き延びるのか? これは、そんなギリギリの状況下の少年たちが主人公の物語だ。

 カズキ、サイケ、タケオの三人は、少年院で出会い、出所後、生き延びるために犯罪者だけを狙って盗む窃盗団となる。住むところすら持たない未成年の彼らは、被害届を出せない裏稼業の収益金を横取りするという“ヤバい橋”を渡ることにしたのだ。 

 単行本冒頭には

「この漫画は実話を元にしたフィクションです。ただし犯罪の手口はすべて実在しますので、ぜひ防犯に役立てて下さい。」

 との一文があるが、ストーリー共同制作の鈴木大介氏の綿密な取材に基づいた様々な裏稼業の犯罪の手口の巧妙さに圧倒され、そんな犯罪者たちのさらに「裏をかく」ことを企てる大胆不敵なカズキらの行動に、ときに息をつめながらも、いつしかひきこまれてしまう。

 もちろんカズキらのやっていることも犯罪であり、許されることではない。だが本作を読んで改めて気づかされるのが「ほとんど教育も受けてない、住むところがない未成年」である彼らが生きていくためのハードルの高さだ。住所不定では働こうにも選べる仕事は少ないし、住民票がないから契約も結べず、免許などの資格も取れない。もし病気にでもなれば医療費は10割負担。これでは這い上がろうにも、まるでまったく手がかりのない絶壁を素手で登ることを強いられるような苦境につきおとされてしまう、ということだ。

 生き方の選択肢が極端に少ない中、助けてくれる親がいなくてもなんとか生きていこうというたくましさをもち、そしてときにさらに弱い存在の幼い少女をひきとったりといった行動を見ているうちにこのユニークな少年達に、いつしか魅力と親しみを感じてしまうのだ。

 作中に登場する裏社会の専門用語など解説してくれる欄外の膨大な「すずきメモ」の情報も、犯罪の現状や不遇な環境におかれた少年達への理解を助けてくれる。

 

 原案となった『家のない少年たち』(太田出版)は、ストーリー共同制作の鈴木氏のルポルタージュで、現在は『ギャングース・ファイル 家のない少年たち』と改題して文庫(講談社刊)になっている。ここに登場する4人の実在の少年たちをモデルにしつつ、カズキたち3人のキャラクターが作られたとおぼしいが、原作本を読んでみて改めて、フィクションであるカズキたちを作り上げるにあたり取捨選択された要素に興味をおぼえた。というのも、「ギャングース」作中の3人の中でも特に、一見するとときに無能にすら見え、ひょうひょうとしてつかみどころがないのに、メンバー中一番の中心人物であるカズキのキャラクターに残された「ノンフィクション」な部分、そして新たに加えられた「フィクション」な部分の両方に、創作者の意図がこめられていると感じるからだ。

 

『家のない少年たち』に登場する一部がカズキのモデルになったと思われる実在の人物(精悍な雰囲気がカズキとは違っているが)も、仲間の中ではこれといって飛び抜けた能力がある存在ではなかった。にもかかわらず、彼はメンバーのリーダーだったのだが、それは彼だけが常に、少し先の「未来のビジョン」をもっていたからだという。少年院で、ここを出た後に信用できる仲間とやる「ビジネス」を考えてはノートに書き殴り、ここから抜け出すこと、数年先の自分たちの生活にこだわった彼に、仲間達はこいつは他のヤツと違う、と希望を見て、彼をリーダーにするのだ。

 これは原案(ノンフィクション)でもマンガ(フィクション)でも共通した重要な要素だろう。腕っぷしの強さや頭の良さよりも、数年先どうするか? もっと言えば、どうなりたいのか? という「ビジョンをもつ者がリーダーになる」「ビジョンをもつ、ということが、集団のリーダーたる大事な一つの能力である」という真理を教えてくれた部分だ。

 マンガを担当している肥谷圭介氏は“ノンフィクションの世界に最高のフィクションをブッ込む!!”という志で本作を描いていると単行本1巻巻末で語っているが、その言葉にたがわず、フィクションたるカズキのビジョンは、自分たちが生活できるカネをかせぐ、という個人的な範疇をはるかに通り越し、ひどく「デカい」のだ。ほとんどホラとしか思えないほどの大きなビジョン、それは「日本を買う」ことだ。巨額のカネを稼いで日本を買収し、自分たちのような子どもでも安心して暮らしていける世の中にする、とカズキは言う。そのあまりに壮大なビジョンは、ほとんどの場合は失笑を買いつつ、しかしときに思わぬ人物をひきつけたりもする。「こいつのホラはひょっとして実現するんじゃねーか?」と思わせるのが、大きな夢を見ている人物の「人望」というものなのかもしれない。

 一方で、原案から変更されているのが、カズキが決して女を殴らないことである。親からさんざん虐待されて育ってきた子は、「人を、特に女を殴るのはいけないことだ」ということがわからず、されてきたことを他人にしてしまう悲しい連鎖になってしまうことが多々あるようだが、カズキは(下心はありつつ)女には優しい。

 そしてなにより最大の「フィクション」は、カズキが異常にポジティブな「心が折れない男」であるということだ。ネットで読める、本作の作者へのインタビュー記事のこぼれ話に、こんな記述があった。

「鈴木さんによると、逆境や貧困、孤独のあまりに「心が折れた」人間が犯罪者になるので、どんなときでも心が折れない主人公・カズキのようなキャラクターは現実の犯罪社会では存在し得ないそうです。」

47NEWS マンガでゼミナール<漫画で防げ!振り込め詐欺 「ギャングース」鈴木大介さんと肥谷圭介さん>
http://www.47news.jp/culture/manga/article/post_28.html

 そうか。

 少年達のシビアな現実を丹念に取材してきた鈴木氏と、そこに「最高のフィクションをブッ込む」ことを目指した肥谷氏が作り上げたのが、異常なまでにポジティブな、絶対に心が折れないカズキなのだ。

 

 カズキは親からは虐待を受け、ある事情で入った少年院を出た後は身元を引き受ける大人もおらず、住む場所すらもたない少年だ。さらに空気の読めないいじめられっ子で、しかも10代なのにオッサンにしか見えない老け顔の肥満体。育った環境も厳しく、さえた頭も美貌も威圧感ももたない、あらゆる意味で、現代の「負け」要素しかもってない少年。そんな彼だけが、作中ではなぜか「カズキからの電話は、ケータイが光って見える」といったいかにもフィクション的な、特別ななにかを「持った」存在として描写されている。

 たとえば天才的に頭が良い、チームの頭脳的存在のサイケは、あらゆる手段やネットワークを駆使してときに犯罪者の裏をかいてミッションを成功させる。だが彼は、頭がまわり常識を知っているが故に、無意識に現状を「前提」として考えてしまうし、自分たちが背負わされ越えなくてはならない負の要素のあまりの多さに絶望しそうにもなる。もちろん、たいていの人がそうであるように、自分たちが縛りつけられている「枠そのもの」を壊し変革する…、なんてとてつもないことは考えもつかない。

「日本を買って、日本中の食えねぇガキに居場所も仕事も用意して、普通に食ってける国にする!」とぶちあげるカズキの異様な楽天性と妄想的にさえ思えるほど大きいビジョンこそが、フィクションゆえにつける「最高の嘘」だろう。そこに、現実世界での閉塞感に対して、「賢しらな絶望より、桁違いの希望を!」「しかも、エンタメ作品で、それを見せる!」とでも宣言するかのような作者達の強烈に前向きな反骨精神を感じるのだ。

 ストーリー共同制作の鈴木大介氏の丹念な取材に基づく膨大な知識による「リアル」と、肥谷圭介氏の乾いていながらどこかとぼけた絵柄で描かれる「フィクション」で紡がれる本作は、ときに目を背けたくなるような厳しい現実の状況を描写しつつ、痛快なエンターテインメントに昇華している希有な作品だ。つまり、現実の問題に立脚しながらも、悲愴なだけではないつきぬけた爽快感をも感じさせてくれる「面白いマンガ」なのである。

(川原和子)

既刊9巻、以下続刊。