[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

第2回 『ぷらせぼくらぶ』(奥田亜紀子)

2015年8月3日

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 つい最近まで、テストを受ける夢をみて苦しむことがあった。いやテストに限らず、学校を卒業して二十年以上たつというのに、学校が舞台の夢はほぼすべてが悪夢で、わがことながらあきれた。学校に行くのは当時、ご飯を食べるように「当たり前」のことだったので、そんなにも学校が嫌いだったとは自分でも気づかなかったが、おそらくしんどかったのだ。その、思春期の「大きな原因があるわけじゃないのに、なんかしんどい感じ」を鮮やかに思い出させてくれたのが、本作である。

 さえない女子中学生・岡綿子(通称岡ちゃん)やクラスメイトたちを中心とした、6編の連作短編が1冊に詰まった本作。小柄で丸っこい岡ちゃんは、ネガティブで毒舌。でも密かに、電車で見かける演劇高校生男子にひとりよがりな片想いをしていたりする。仲よしの女子・田山は、友人思いで恋うらないにハマる乙女だが、中学生という若さ、いや幼さゆえかタイミング悪く配慮に欠けた暴言を吐いて気になる相手を傷つけてしまう。クラスの中心男子・三田の横暴にさからわないことを処世術にしている武庫川は、友人のいない土屋から「友達になってくれ!」と頼まれ、いやいやつきあううちにごまかしてきた自分の欺瞞を直視せざるを得なくなる。そして、岡ちゃんが「あっち」と呼ぶ学校の華やかな側の美人のさざなみ先輩や三田にも、うまくいかないあれこれがあることも垣間見せてくれるのだ。

 本作のすごいところは、ネガティブ女子・岡ちゃん、そして友達がいない男子・土屋の造詣だ。男子に「毒まんじゅう」とあだ名されている岡ちゃんは、現実的に考えるとありえないほど小柄に、丸っこい二頭身(!)の姿で描かれている。いわばシリアスなマンガに、岡ちゃんと土屋だけがギャグマンガの絵柄でまざっているような形なのだが、それによって岡ちゃんが、毒々しい内面をもちながらもどこか愛らしくユーモラスな存在として作品を読めるのだ。友人が欲しいあまり痛々しいほどの挙動不審になる土屋もまた、超シンプルな線で描かれることで、抽象化された存在に感じられる。これは小説や、生身の人間による実写ドラマ・映画では難しい手法だろう。

 岡ちゃんの「毒」も、客観性や空気が読める賢さや繊細さの裏返しであることが、美術部のさざなみ先輩(美女)との交流場面などからわかってくる。さざなみ先輩の部屋でメイクされ、一緒にお絵描きして距離が縮まって嬉しくなった岡ちゃんは、つきあっている彼からの電話をとった先輩に「こういうんさ 普通聞かれたないやろ?」「あっち行っといてくれへん?」と言われて、男女のあれこれにかかわる「普通」のことを自分が知らないんだ…とショックを受ける。岡ちゃんの「毒」は、自分のイケてなさを(無意識にしろ)客観的に自覚し、それが原因で世界から少しずつはじき出されていくことを敏感に予感しているが故の、焦燥にまみれた「毒」なのだ。

 収録された6編のうち、5編目にあたる「窓辺のゆうれい」だけには、岡ちゃんたちを傍から見ている大人が登場する。岡ちゃんらが通学に使っている電車の駅の売店に勤務する三瀬という女性だ。
 アラサーとおぼしき三瀬さんは、微妙な友人関係に心揺れまくる岡ちゃんたちを横目で見ながら自分の中学時代を回想する。そんな三瀬さんに、中学時代のクラスメイト女子・カバモが連絡してきて、過去と現在が交錯する。このエピソードで、ある意味「今」に閉じ込められている岡ちゃんたちにも、地続きの未来があることが暗に示され、現在を生きる複数の人々、という横軸だけでなく、時間という縦軸が示されることになるのだ。
 同時に、私も思い至った。
 学生時代の「苦しさ」の本質は、ここ(=学校)でのいまの評価が自分のすべてのように感じていたことかもしれないな、と。「学校でいろいろぱっとしない自分は、まして社会に出たらよけいそうでは?」と感じてブルーになっていたような気がするのだが、必ずしもそうではないことに、大人になってから気がついた。学校にあった無意味なルールに従う必要もなくなったし、社会に出てからの方が、つきあう相手、余暇の過ごし方、あらゆる意味で選択肢がすごく広がった。学生時代には欠点としか思えなかった私の関心の著しい偏りも、大人になって試行錯誤するうちに趣味から職業になり、気の合う友人も大人になってからのほうがずっと増えて、紆余曲折ありながらも社会に出てからの方がずっと、私の人生は楽しいものになった。
 三瀬さんも中学時代は教室の隅でカーテンの裏にいて「影絵」とあだ名される「ぱっとしなさ」だったが、人知れずホラー小説を書いていて、カバモだけがそれをほめてくれていた。その後二人は決裂したが、岡ちゃんのかっこわるい苦闘を見て三瀬さんは、自分からカバモに「かっこわるく」歩み寄ったことがなかったことに気がつき、大人になったいま、思い切って一歩を踏み出すのだ。
 輝かしくないスクールライフを送っていても、地道に生きて経験をつみ、そしてほんの少しだけ勇気を出すことで、思いがけない再会やそこから始まる新しい関係もあるよ、ということをこのエピソードは感じさせてくれる。同時に、イケてない中学生だって知らないところで大人に影響を与えているかも、と思わせてくれるのもじんわり暖かい展開だ(余談だが、岡ちゃんの「毒」のもとである批評眼や絵のうまさは、表現者としての岡ちゃんの才能と将来を予感させる。教室で輝かなかった人が社会で人一倍輝く例は、特に表現の世界では驚くほど多いのだ)。

 最終話では、田山と距離ができてしまった岡ちゃんの葛藤が描かれる。本作ではあちこちで心理描写が客観描写と地続きで表現されるが、教室にいながら岡ちゃんは田山のひとことで(主観的には)崖っぷちから蹴り落とされ、「今日、コロンつけてきた」の言葉で巨大なコロンに身体を圧迫される(ようなショックを受ける)。岡ちゃんは毒っけもあるが、関係の変化を感じ取れる繊細さも同時にもっていて、だからこそ、離れていく田山をひきとめようとして「言ってはいけないひとこと」を言ったこともわかって、自縄自縛に陥るのだ。自分を受け入れない(ように見える)世界への呪いを地味にまきちらす岡ちゃんだが、それでも最後の最後で思わず言ってしまう「岡ちゃんらしくない言葉」は、唐突でちょっと滑稽ですらあるけれど、でも自分以外の誰かを自分より大事と思う瞬間が描かれていて感動的だ。
 物語の最後、ほんの少しだけそれぞれの関係が変化したことが登校シーンでさりげなく示される。それはあまりにも少しだけど、でもたぶん「進歩」「前進」と呼べるものに感じられるのだ。

 学校での時間と人間関係が生活の大部分をしめる中学生時代。狭い世界で生きざるをえないから、友人にちょっと距離を感じただけで世界がずれた?というくらい動揺してしまう、あのひりひり感をたたえつつ、同時にどこかやわらかくユーモラス。豊かな情感をたたえた本作は、なんと作者の初単行本。みずみずしい思春期の物語を読みたい人はもちろん、マンガという表現に興味がある人すべてに、薦めたい一冊なのだ。