[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

最終回『ザ・ファブル』(南勝久・講談社)

2019/4/10

 

あまりに天才的な腕をもつことから「ファブル」(寓話)と呼ばれる殺し屋。そんな彼の次の任務は、殺しを禁じられ、普通の人間として一年間、大阪で暮らすことだった……!

 

2017年、第41回講談社漫画賞受賞。2019年6月には実写映画の公開も控えるなど、面白さはもはや折り紙付き、と言える本作。いまさらではあるが、その魅力にぐいぐい引き込まれてファンになった一人として、改めてその魅力を語りたい。

 

マンガの世界では、スゴ腕の殺し屋の話は珍しくはない。だが、その殺しの天才が、特殊技能の殺人を「禁じ手」にされ、一般人として生活するミッションを与えられるとなればどうだろう。

この逆転の発想が、本作のユニークなところだ。

この設定によって、卓越した殺しの能力をもつファブルこと、佐藤明(これもかりそめの偽名)が、その能力を発揮「しないよう」に悪戦苦闘するさまが描かれることになる。

 

その過程で、伝説的な殺人能力をもつ彼が、実は「普通」をよく知らない、ということがわかってくる。偶然知り合った親切な女性・ミサキの紹介で小さなデザイン事務所に就職する佐藤だが、自転車での配達は驚異の身体能力ですばやくすませるものの、常識的な食事の仕方を知らない彼は、飲み会の席で、えだ豆の皮やチキンの骨までを食べ、サンマは頭から丸のみして、居合わせた人を戸惑わせてしまう。

 

かつてある方が「すごく突出した能力のある人は、その分、欠落も大きいんだよ」と言っておられた。たしかにそうだな……と思ってきたのだが、ファブルこと佐藤明は、まさに激しい突出と巨大な欠落を秘めた人物なのである。

 

佐藤明の常人離れした身体能力や危機察知能力、そして可能な限りなんでも食べてしまうところなどは、過酷な育ち方に理由があることがはしばしでにおわされる。それ故に、いわゆる「普通」の生活のことを極端に知らずに育っているであろうことも。

デザイン事務所では、彼の描く幼児のような素朴な絵が気に入られ、チラシに採用されるのだが、作中でバーのママが言うように、絵に今の生活が表れるとすれば、あるいはそれを敷延して彼の内面をうつしているのだと考えると、おそらく佐藤の心にはとてつもなく「無垢」な部分があるのだろう。それは冷静に人を殺す冷酷さとおそらく表裏一体のもので、人間らしい生活をへて休暇が終わる頃、いったい彼はどんな変化をするのだろうか……。

 

本作は、絵柄としては写実的で、ぱっと見て親しみを感じるタイプの絵とはいえない。が、佐藤の日常におけるピントのズレっぷりに笑い、いざというときの彼の凄味に息をのみ、手に汗握って読んでいくうちに、読者はそれぞれのキャラクターに親しみを感じはじめる。ほのかに不吉な未来の予感も節々に感じられるだけに、彼ら・彼女らの行く末がどうなるのか、気にしないではいられなくなるのだ。

 

佐藤と妹(ということになっている相棒)のヨウコは、平穏な一年を過ごそうとしているにもかかわらず、さまざまなトラブルに巻き込まれる。

9巻から登場する詐欺師の宇津帆(ウツボ)などは、まさに悪そのものとして現れるのだが、彼の主張を聞いていると、もっともな考えにさえ思えてきて戸惑った。

今の世の中のさまざまな危険を事前に察知し、取り除こうとする風潮は、もちろん大事なことだ。だが、行き過ぎると生き物として時に必要な野蛮さを喪ってしまうのではないか。かなり極端な形ではあるが、宇津帆(ウツボ)の悪行は、ある意味でそんな問題提起になっているようにも感じられるのだ。

物語に登場する人々の多くは、いわばアウトロー、黒社会の住人達だ。しかし宇津帆が「本当の事を言うのはいつも敵か悪なんだよ」(10巻p.178)と自ら宣言するように、宇津帆のような存在が、いささか荒っぽいけれども、逆説的にいまの世の中では大きい声で主張しづらい、キレイごとではない「教訓」を説いてきているようにも思えるのが本作の面白いところだ。

佐藤も特別な道具がなくても「知恵と工夫」でなんとかする、などと至極まっとうな教訓を口にするのだが、その教訓でつちかった能力を活かしておこなった仕事の残酷さ(殺人!)とのギャップは皮肉にも感じられる。だが、佐藤も言うようにたぶん本当は、「殺すより、生きて助けるほうが難しい」ものなのだ。

 

そして、佐藤の超人的な能力をもってしても、テクノロジーの進歩が、彼を時代遅れな殺し屋にする、という佐藤の「ボス」が抱く危惧も、現実の社会全体に漂う、ITの発達が人の能力を不要にし、仕事が奪われる危機感とリンクして、リアルにどきりとさせられる。

一方で、佐藤が勤務するデザイン事務所の社長(特別な能力があるわけではない、普通の人だ)が酔っ払ったときにみせた、下心なしに人を気遣える優しさは印象的だ。作中では人の残酷さや欲望、身勝手さがこれでもかと描かれるのだが、人間的な優しさも時折救いのように描かれていて、物語を息苦しいだけのものでなくしてくれる。

 

本作は、手練れのマンガ読みはもちろん、あまり評論などを必要としない一般の読者にも熱い支持を受けているようだ。私自身もマンガに関わる仕事関係の知り合いからも、趣味としてマンガを楽しんでいる知人たちからも、それぞれ「面白い!」という言葉と共に薦めてもらった作品なのだ。

 

幅広い支持の理由は、もちろん内容が抜群にユニークで面白いからだと思うが、非常にオーソドックスなコマ割りも、読者を限定しない読みやすさにつながっているのではないか。

マンガのコマ割りは長い歴史のなかで進化していて、コマ同士が重なったり、人物がコマをはみ出したりという技法も当たり前のように使われているが、うまく使うと効果や迫力を生む一方、ややもすれば読みづらさにつながることもある。

本作では、律儀にひとつひとつのコマが「閉じて」描かれ、見せ場は見開きで見せてくれるので、読者が読む順番にとまどわず、ストレスなく読みすすめられ、それでいて単調には感じない。

作中の佐藤明は「存在に気づかれずに仕事をしてみせるのがプロ」という考えを信条とするが、ストイックなくらいのきっちりとしたコマ割りも、読者に読みやすいように、という作者の(そうとは気づかれぬ)配慮なのかもしれない。

 

「殺しを禁じられた天才殺し屋の休暇」という面白い設定。そして、その天才が、常人にはないすごい能力があるのに誰でもできる普通のことが実はできないというギャップ。この落差を、ユニークな描写で笑いを交えて描くのが本作だ。一方、緊迫したシーンの迫力はすさまじく、その緩急は見事だ。

 

現在17巻まで刊行中。
一度読みだすと止まらないので、覚悟して読み始めて欲しい。