[ 連載 ]

マンガこそ読書だ!!

第15回『凪のお暇 』(コナリミサト・秋田書店)

2018/8/2

 

 大島凪(なぎ)は28歳のOL。周囲に気を遣いすぎて、ある日過呼吸になってしまい、それを機に会社を辞め引っ越し。すべてをリセットして新しい生活を始めようとするが……。

 すでに第8回an・anマンガ大賞の大賞を受賞。マンガ好きの有志が選ぶマンガ大賞2018では3位になるなど、高い人気と評価を得ている作品である。そう聞いて手にとってみようかな、と思った人は、絵柄を見て意外に思うかもしれない。かわいらしいが、現代的、というよりはむしろ懐かしさを感じる素朴な描線。ところが、中身はしっかり「いま」をとらえた、なかなかの「曲者」なのである。

 本作のすごさは、一筋縄ではいかないところが複数ある点だ。

 

 まず、人物描写だ。

 凪が過呼吸で倒れるきっかけとなった元カレの慎二は、営業部エースのモテ男子。だが、彼女である凪をいいように利用し平気で踏みにじるモラハラ野郎として描かれる。しかし、そんな彼にも実は秘めたる過去や本心があり……という描写がなされていき、読みすすむにつれて、たしかにひどいヤツだけど、なんだかばっさりと切り捨てきれない気持ちになってくる。

 ちなみに個人的にこのお話に私がぐっとひきこまれたのは、凪が引っ越した郊外のアパートの2階に住むおばあさんのエピソード。一見みすぼらしく周囲にあわれまれている彼女が、実は自室を映画鑑賞ルームにしていて、工夫して生活を楽しんでいる「豊かな」人として描かれる。年齢を重ねて将来に不安を感じることが多くなってきた私にとって、この描写は、

 「人からどう見えても、好きなことを見失わず、工夫をこらせば、幸せに生きていけそうだな」

という勇気を与えてくれたのだった。

 こんなふうに本作には、「一見こうみえるけれど、実はこんな面のある人」という気持ちのいい裏切りがいくつも描かれるのだが、そんな描写の積み重ねは、実際に生きている我々そのもののあり方とリンクする。シンプルでかわいい絵柄で、一面だけで白か黒かで割り切れない「人間」という存在そのものを描こうとしていることが伝わってくるのだ。

 そして、そんな人物描写で展開されるストーリーも、単純ではない。

 通常、主人公の凪が、会社退職を機に人生リセット、となれば、モラハラ彼氏の慎二ときっぱり縁を切り、

 「それまでの生活をリセットして、本来の自分になったヒロイン凪が幸せになりました」

……というストレートなお話を想像するところだが、元カレ慎二はしつこくからんでくるし、凪が引っ越した先の隣人のゴンさんもステキな王子さまかと思いきや、天然の人たらし故に悪意なく凪を翻弄して、危険信号が点滅しまくり、こちらも一筋縄では行かない。

 

 また、ユニークなのは、凪が、節約が趣味、という女性向けマンガのヒロインには珍しいキャラクターであるところだ。彼女の作る節約メニューのレシピは、不思議とどれも美味しそうだし、やってみたくなる魅力がある(なにしろ節約術なので、お財布的なハードルはすごく低いし)。

 それは、しゃれているが聞いたこともないような食材ではなくて、ごく身近な材料が多いから、読む人の味の記憶を呼び覚ます……という面もあるだろうし、「知っている味をランクアップさせるちょっとしたワザ」というゲームっぽさにも「へえ、やってみようかな」とわくわくさせられるのではないか。かわいい絵柄も、「節約術」の、生活感はあるけれどみじめな感じにならないことに一役買っている。

 凪の節約料理は、「インスタ映え」のためだけに、きらびやかでカラフルなスイーツを撮影するために買うも、食べきれず捨ててしまう……という少し前に問題になった行為とは、対極にあるものに感じる。写真に撮って映えるかどうかはわからないけれど、お母さんが作る茶色いお弁当みたいに、たとえ見た目がイマイチだったとしても食べると満足感のありそうな美味しさの気配が満ちている。それは、「見せる」ことがゴールではなく、「経済的でお財布にやさしい」ことと「食べて美味しい」という、生活の中の美味しさに焦点があるからかもしれない。私自身は人一倍、食べ物の写真を撮ることが好きなのだが(でもヘタ)、忘れてしまいがちな「写真には写らない美味しさ」もあることを、本作は思い出させてくれた。

 携帯やスマートフォン、そしてSNSの普及で、私たちはこれまでになく気軽に日常の写真を撮り、それを共有することになった。その結果、よほど気をつけていないと、楽しいから撮影して人に見せていたはずが、人に見せるために、さらに言えば、見られる「幸せそうな姿」を演出するために撮影する……という逆転が、わりと簡単に起こってしまうのではないか。慎二の一見「素敵な」家族のぞっとするような空疎さや、デパ地下で買ったお総菜を手作りに見せる女子のエピソードに、それらが垣間見えて、考えさせられた。

 

 また、世渡り上手の慎二と不器用な凪は合わせ鏡のような存在として描かれ、同じエピソードがそれぞれにはまるで違って見えていたことも語られる。器用に相手の望む行動をとれる慎二は、それ故に、作り笑いがヘタで必死にまわりにあわせる凪を愛おしいと思っているくせに、口から出る言葉も行動も凪を傷つけるものだったりする。高スペックで仕事も対人関係も器用にこなすが、一番大事なコミュニケーションには失敗してしまう慎二の「クソなモラハラ彼氏」っぷりは、一見称賛されるような人の中にも意外とひそんでいる属性なのかも……と、我々の生きている現実との「地続き感」に背筋が寒くなったりもするのだった。

 

 本作では、ヒロインの凪が当初、少しずつ「搾取」される人物として描かれる。

 周囲から軽んじられ仕事を押しつけられ、「まあこれくらいは」と波風を起こさずおとなしくニコニコと対応する凪は、無自覚に低温やけどを負ってゆく人のごとく限界を迎え、過呼吸で倒れるのだが、周囲の理不尽を受け入れてしまう根本は、自己評価の低さ、自己肯定感のもてなさではないか。OL時代の凪はSNSにふりまわされ、たまたま見てしまったグループLINEを通じて自分への評価を知って深く傷つく。SNSという便利なコミュニケーション手段の登場で、「素敵さ」を無邪気に発信できないタイプの人は、人の「素敵な生活」を一方的に知らされるうちに自分の生活がつまらないものに思えて、自己評価がどんどん下がる危険性もはらんでいるのかもなあ……と気づかされる。

 実は凪は、事務処理や雑用においてズバ抜けて有能なのだが、自分では難なくできるせいもあり、そのすごさに気づけず、ひたすらできないことばかりを意識しがちだ。真面目で謙虚な人たちのおちいりがちな自己否定スパイラルから凪がどう脱出するのかも、とても気になるところだ。 

 

 ……とまあ、ノスタルジックな絵柄で「現代の諸問題」にも鋭く切り込みながら、読んでいるときは小難しいかんじは一切無く読みやすい本作。しかも、節約術まで知ることができるお得感もあるという、これはもう読むしかない作品なのである。

 

 王子さまとむすばれて、めでたしめでたし。

 大人の女性向けマンガが「めでたしめでたし、のその先」を描くようになってからかなりたつけれど、答えの見えない「その先」で、ときに王子の手をふりほどいたりもしつつ、自分なりに正直に、必死にもがく凪の姿は、やっぱりどこか感動的だ。

 こんなにかわいい絵で、レシピや節約術のサービスもたっぷり味わわせてくれつつ

 「王子に見えてもとんでもない闇抱えてることもあるから、まずは精神的にも経済的にも自立するのが女子の幸せのキホンってやつかもよ」

 とさらりと描いている……ようにも思える本作は、かわいい顔してとんでもなく骨太な問題提起作なのだ。