[ 特別記事 ]

揺れる大地のうえで ‘ぼよよん’と思考すること

まえがき本棚3|『フラジャイル・コンセプト』

2018/5/21

 

 「ぼよよん」を検証してみよう。そう思ったのは、東日本大震災が起きて、しばらくなにも手につかず惚けていたのを少しはリハビリにでもと恐る恐る、上州富岡駅舎のプロポーザルをはじめたときのこと。まだまだひっきりなしの余震があって、ぼくたちの足元の地面が豆腐でできていることはもうバレバレで、大地の揺れに争って動かないことが「揺れない」ということなのか、それとも大地の揺れに身を任せて一緒に揺れることが「揺れない」ということなのか、すっかりあやふやになってしまっていた頃のことだ。

 そういえば、と思い出したのが《ぼよよん小屋》のこと。

 話は震災の1年前に遡る。ぼくの事務所で設計した青森県立美術館から、「開館5周年記念展」の一つとして展覧会開催を打診された。ちょうど東北新幹線路線が延長して新青森駅が開業する。あわせて「青森デスティネーションキャンペーン」が開催される。美術館も5周年。まさかその1年後に震災の悲惨が到来することなど誰一人知らぬ、そこはかとなく、ぬるい幸福感が漂っていた頃のことだ。

 美術館の建築・空間をテーマに、アーティストの杉戸洋さんと組んで、展覧会をつくることにした。その過程で、もたれかかると「ぼよよん」と揺れる小屋をつくることを思いついた。

 揺れには両義性がある。がたがた、ぐらぐらと揺れるのは怖い。ゆらゆら、ふわふわとたゆたうのは気持ちよい。ふらふら、よたよたと揺れるのだとその中間くらいで、気持ち良いのと危なっかしいのとが混じっている。

 普通、建物が揺れるのは欠陥で、まさか揺れるとは思えないがっしりとした建物が揺れると、慌てふためく。ポジティブが転倒してネガティブに転ぶ。しかしそのネガティブも、揺れている間にもう一度、ポジティブにひっくり返るかもしれない。絶対的にネガティブなことはなく、絶対的にポジティブなこともない。物事はすべて、ネガティブであると同時にポジティブなのではないか。

 後で考えれば、多幸感に満ちたまどろみのなかにあって、その一皮内側には過酷な世界が隠れていることを表わしながら、しかしまたその酷薄な世界が、もう一度ポジティブな世界に転生する機会を狙っている、そんなことを含ませたかったのかもしれない。とりあえずのポジティブな世界を立脚点として、眼の前の風景を、どちらに転ぶかわからない、ネガティブとポジティブの反転可能態に持っていくこと。「ぼよよん」とは、その岐路に置かれた状態を表すオノマトペだった。

 「ぼよよん小屋」が、ぼくの事務所で着々と制作されていくのと並行して、杉戸さんのアトリエでは、小さな油彩が描かれているようだった。その多くは、後で知ったことだが、やはり歪んだ小屋や壊れた小屋の絵だった。

 2011年4月23日にはじまる展覧会で、設営に乗り込む直前に東日本大震災が発生したため、この展覧会はキャンセルになったが、「ぼよよん小屋」はすでに完成していた。そこで、杉戸さんのアトリエに部品を持ち込み、組み立てた。2016年、豊田市美術館での杉戸さんの個展「こっぱとあまつぶ」で、手を加えたうえ、はじめて出展した。2017年には、杉戸さんと、当時ぼくの事務所でこれを担当していた大石雅之さんとで、さらに大きく手を加えられ、タイトルも《ぼよよんろうそく》と変わり、青森県立美術館に展示された。この本が書店に並ぶ頃にも、運良ければ、まだ展示されているかもしれない。

 ぼくの事務所単独でも、モノとしての「ぼよよん」は、2011年の「オカムラデザインスペースR 第9回企画展」や2016年の《ぼよよん土管》で試してきているのだが、この「ぼよよん」は、モノの範疇にとどまらない、コトの範疇まで広がっている、と思い当たったのは、つい最近のこと。「フラジャイル・コンセプト」とは、そのコトとしての「ぼよよん」のことだ。

 

 

 1990年だったか、まだ磯崎新さんの事務所にいた頃、定期的に開かれる「勉強会」に出席していた。場所は東京青山にある旧山田守自邸で、先輩たちの話を聞いてついていくのでほうほうのていなのに、あるとき、次回は君が発表せよと指名された。話すことがない。ちょうど水戸芸術館の現場常駐が終わったばかりで、ずっと忙しかったから、というわけだけでもないけれど、なんの勉強もしていない。しかたないから、たとえとるに足らない話題であっても、自分にとって切実な問題を話すしかないと観念した。それで、なんであれほどまでに、水戸の現場で設計変更しつづけたのか、ということを話すことにした。水戸では、設計変更するたびに、というか毎朝「今日の設計変更を発表します」とやっていたのだが、市役所の担当から怒られるのに対して、「よりいい案を思いついたのに、それをみすみす逃すのはもったいないじゃないか」と食ってかかる無体を働いていた。どうも、設計変更は悪いことではない、いや、設計変更こそ設計の本来の姿でないか、とさえ思っているようだった。

 20世紀の音楽は、それまでの作曲家と演奏家と聴衆の固定した関係を疑った。作曲家が楽譜という正典を作成し、演奏家が現実の音に翻訳し、聴衆が聞こえてくる音を通して作曲家の意図を受けとる、という一方通行の流れでは「音楽」はすくいとれないと考えられたからだ。たとえば武満徹は、「音楽」とは本来、「音楽的思考」や「音楽的行為」への人間の「たえまない欲求」からなるものであり、作曲、演奏、聴衆の間にヒエラルキーはない、とした。

 

 作曲→演奏→聴衆という図式を、激しく循環し変化しつづける生きた関係とするためには、音楽は、たえず生成しつづける状態としてなければならないように思う。そして、無数の個別の関係が質的に変化しつづけ、ついに見分けがたく一致するまでに音楽は行われなければならない。たぶん、音楽はその時、日常的挙動に還元されて、生の規律そのものとなるのではないか。

(武満徹「作曲家と演奏家と聴衆」『音、沈黙と測りあえるほどに』)

 

 慣例に盲目的に従うのではなく、生成しつづける音楽行為そのものを〈現実(real)〉にしなければならない。音楽の楽譜/演奏/聴衆の関係を、演劇に移しかえれば、戯曲/上演/観客になる。ここでも、戯曲の先行を前提とする上演ということに対して「一度、『戯曲』として書き、きちんと幕を切ってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」(寺山修司「戯曲論」『新劇』1974年5月号)と、疑問が投げかけられていた。寺山修司もまた、演劇を世界の再現ではなく、「日常的現実原則と虚構の現実とのクレヴァスを埋めあわせ、そこに新しい出会いを生成する」もの、つまりその生成行為そのものとして再定義しようとしていたのだった。

 建築とは現実世界という生きた生成行為の組織化である、と言うのは、音楽や演劇がそうであると言うよりも、ずっとたやすい。モノとしての建築物は、現実世界の一部を成すし、そこに人が関われば、モノとコトとが組み合わさった現実世界も生まれるからだ。建築とは、人びとの生という不定形の、生きた生成行為であるナカミに、形つまり組織を与えるウツワである。

 音楽においての「楽譜」や演劇においての「戯曲」を、建築に置き換えれば、「設計図」だ。「演奏」や「上演」は「施工」にあたるだろう。そこで勉強会で、寺山に倣って、「一度、『設計図』として描ききってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」と啖呵を切ってみた。もちろん、待っていたのはまったくの黙殺で、たしかに、施工が設計図の単なる復元・再現行為でないとするなら、設計変更する主体は、設計者ではなく施工者でなくてはならない。このアナロジーから、設計者が施工中でも設計変更を繰り返すことこそが建築のあるべき姿だ、という結論を導くのはどだい無理な話だった。

 

 

 しかしそれでも、頭のなかで完成しきったことを現実に置き換えていくのは退屈なこと。自分がそう感じるタイプであることは、それからしばらく経って、自分の仕事をはじめてわかってきた。「この案のコンセプトはなんですか?」と聞かれるたびに腹が立ったからである。

 そう聞く人は、ものをつくるときには最初にコンセプトがあるはずと考えている。コンセプト、つまり「したいこと」がまずあって、それをかたちにするのが「つくる」ことだ、と捉えている。ところがこちらは、かたちにしていくなかで「ああ、自分はこんなことをしたかったんだ」と気づく、それが「つくる」ということだと感じる人間のようだった、というか、そういう時間の過ごし方、頭の働かせ方が楽しいから日々やっているわけで、その行ないの総体が「つくる」ということだと思っているらしい。先にコンセプトを決めて、そこからそれを直線的にモノに持っていくのは、単なる作業であって、「つくる」ではないのではないか、と感じてしまうのである。

 最初にまったくコンセプトがないわけではない。はじまりには、こんなことをしてみたらおもしろくなりそうだな、という感覚があって、それをコンセプトと呼べないこともない。ただ、それはあくまできっかけ、物事を先に進めるためのエンジン、あるいはとりあえず背を押す仮説のようなもので、その仮説を試してみれば、たいていは最初の感覚とずれてくる。それで、あ、違った、こっちの方向、と最初のコンセプトを立て直して、別の道に切り替える。するとまた間違いに気づいて、別の道を行く。そのたびごとに、自分では脱皮した気分、ちょっと進歩した気分になるが、まあ、堂々巡りしているだけのような気もする。ともかく一歩一歩が、この先、どっちに行くのかわからない、出たとこ勝負の賭けになる。

 手綱を締めてその先の展開をしっかり牽引する強いコンセプトというものがある。そこでは、コンセプトがいわば種子でその生育が表現だ。コンセプトには、表現の隅々まで一意的に決めることができるまでに包括的な種子であることが求められる。表現には、そのコンセプトをミスなく隙なく、現実に移しかえるだけの完璧な技量が求められる。

 その一方で、先々不確定な揺らぎを引き起こすフラジャイルなコンセプトがある。行きつく先が見通せず、辿りつき来し方を振り返ってはじめて、その道筋が見えてくるつくり方がある。

 社会はますます、前者の世界を求めるようになってきている。その社会は、隙なく、窮屈で、息苦しい。外から求められる約束事がある。内から、つまり自分から自分に嵌めたコンセプトというタガがある。そこから逃れたい。

 その行ないがそもそも「つくる」ということではなかっただろうか、とぼくは思うのである。

(「序 フラジャイル・コンセプト」より)


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目次
第1部 表現でないこと
第2部 東日本大震災
第3部 具象と抽象を行き来しながら
第4部 日常の風景 
第5部 建築を見ながら、考えたこと―『新建築』2015年月評
第6部 建築をバラバラなモノとコトに向かって開くこと