[ 連載 ]

『1933年を聴く』刊行によせて

第3回|「冷血」の尺八奏者

2018/1/17

「西洋化」から「国粋化」へ転換点で、歪む音に狂わせられる人々を、私たちは笑うことができるのか?――1933年は、猛威を振るった世界恐慌が底をつき、景気回復をともなう1年であったと同時に、世界がファシズムに傾斜していく1年でもあった。上向きと下向きが同時に存在する時代状況は、文化においても多様なかたちで歪みを生みだした。音と音楽においても然りである。齋藤桂著『1933年を聴く―戦前日本の音風景』は、そうした1933年の音と音楽に関連するユニークな出来事を通して、〈戦前〉の日本社会の空気を浮かび上がらせ、それ以前/それ以後の連続と断絶を描いた一冊である。全3回にわたる本連載では、その一部を味わっていただければと思う。

 

 筆者が中学生の頃、エレキギターが欲しいと言ったら、親から「不良になるから駄目だ」と言われたことがある。このような、「エレキギター=悪」というイメージに馴染みがあるのは、ベンチャーズブームあたりから始まって、おそらく筆者(1980年生)が最後の世代くらいかもしれない。

 とはいえ、音楽に少しでも興味のある人は、クラシックの音楽家でも滅茶苦茶な私生活を送った人は少なくなく、逆に品行方正で堅実なロック・ミュージシャンが沢山いることはよく知っているだろう。

 だが、それでも楽器やジャンルによって、それぞれのステレオタイプに添ったイメージがあることは確かである。

 日本の伝統楽器ではどうだろうか。「伝統」とは言うものの、もちろんその楽器が現役だった時代には「伝統」ではなく、同時代としてのイメージがあったわけである。

 伝統楽器の中で、往年のエレキギターに負けないくらい――か、それ以上に――ネガティヴなイメージをもたれていたのは尺八である。

 そもそも尺八は「楽器」ではなく、普化宗の虚無僧のみに許可された「法器」であった。

 この虚無僧の権利は1614年の「普化宗御掟目」という掟書きによって定められていた。この掟書により、彼らは「天蓋」と呼ばれる笠の着用と帯刀を許され、そして関所も自由に通ることができた。徳川家康が定めたと言われる掟書の原本が焼失しているのも、なかなか怪しい。尺八製作者葛山幻海は「現代で例えれば、包丁を持った男がヘルメットをかぶったままコンビニに入っても問題ない、といった許可」(『まるごと尺八の本』青弓社、2014)と述べているが、的確である。

 井原西鶴『武道伝来記』(1687)には子に敵討ちをさせることを心に決めた母親が虚無僧に化けて同行するために尺八を習う話が収められているし、『仮名手本忠臣蔵』(1748)の加古川本蔵が虚無僧の姿となるのも有名である。曲亭馬琴『南総里見八犬伝』(1814‐1842)では、悪臣山下定包さだかねが尺八を嗜んでいる。近代でも同様で、岡本綺堂の戯曲『虚無僧』(1925)には、侍の刀を尺八で受け、大酒を飲んで人を殺める極悪な虚無僧が描かれている。善玉・悪玉色々いるが、これらはどれも尺八のもつ物騒なイメージの反映であろう。

 それゆえ、近代に入って尺八が目指したのは、このようなネガティヴなイメージを払拭して「楽器」として認識されることであった。

 そのために尺八に関わる人々は、ピッチを統一し、レパートリーを固定し、箏・三味線との合奏を行い、場合によっては五線譜を導入して、楽器や演奏から近代化していくことを目指した。また「法器」の頃の精神重視を脱することも目標のひとつとなった。

 1920年代から盛んになった「新日本音楽運動」と呼ばれる芸術運動は、その中でも最も大きな動きのひとつである。箏曲家の宮城道雄や 中島雅楽之 なかしまうたし 、音楽学者の田辺尚雄、町田嘉章ら、そして尺八では吉田晴風や福田蘭童らがこの運動に参加していた。

 さらに1926年の新聞では、野村景久という尺八奏者が「福田蘭堂君の後継現わる/新たに見出された天才作曲家の野村景久君」(『読売新聞』1926年2月23日朝刊9面)と紹介されている。

 彼等の活動によって、前近代的な日本音楽のイメージが払拭されていき、虚無僧のような物騒な尺八への先入観も薄らいでいった……はずであった。

 1933年、尺八奏者の福田蘭童は結婚詐欺にいそしんでいた。彼は1934年に逮捕されるが、1932年からそれまでの間に7人もの女性と関係をもち、結婚をほのめかして金銭をせしめるなどの悪質な犯罪を繰り返していた。

 結果、当時「~蘭童」という言葉は結婚詐欺のスラングとなり、たとえば女性の結婚詐欺師は「女蘭童」などと呼ばれた。 

 さらに彼の「後継」と伝えられた野村景久は、1933年1月、7歳の少女を含む親戚一家4人全員を殺害し金銭を奪うという事件を起こす。大恐慌の余波の不況の中、弟子が減り、困窮した上での犯罪である。景久は講道館の有段者でもあり、その柔道の技術が凶器である。

 当然、この事件に日本音楽界は大きな衝撃を受けた。興味深いのは、この事件に対して、虚無僧のイメージを想起させるという批判があることである。

 

尺八、殺人、飛んでもない印象をのこしたものだ、誰しもびつくりしてるだらう、幕末の頃虚僧(ママ)の凄味を詠んだ川柳に「御無用の聲がかたきにそのまんま」といふのがある〔。〕大体御無用といふ敬字が虚無僧の敬遠で、明治時代でも道楽もの視された歴史がある。折角こゝ迄来た尺八を悪い印象で包む事は何としても出来ん〔略〕

(藤田生1933「驚愕の中心――野村景久の事」『三曲』第132号)

 

 これまでの尺八の近代化が乗り越えようとしてきたものが、ここに来て一気に露呈したのである。

 これらのような尺八奏者が起こした事件について、雑誌等では様々な意見が載ることとなる。多くは音楽と道徳を結びつけたもので、尺八のもつ精神性・宗教性を大事にしようという論調のものであった。

 かつて虚無僧の前近代的なイメージを抜け出すために、一度は捨てようとした精神性を再びもち出すという矛盾。

 奇しくも、1933年。日本がそれまでの西洋化から国粋化へ向かう転機の時期に起こったこれらの凶悪事件とそれらに対する反応は、伝統の近代化が必然的に直面する精神性と合理性の間で生じる矛盾を、極端なかたちで前景化したのである。

  [完]


連載『1933年を聴く』刊行によせて(全3回)
 
 

目次

人物相関図

序文
第1章 概要
第2章 文脈で理解するゲーム理論
第3章 民話と公民権運動
第4章 フロッシーときつね
第5章 ジェイン・オースティンの6大小説
第6章 オースティンによるゲーム理論入門
第7章 オースティン作品における競合的なモデル
第8章 何が戦略的思考ではないかに関するオースティンの見解
第9章 オースティンによるゲーム理論の革新
第10章 戦略的思考のデメリットに関するオースティンの考え
第11章 オースティンが意図していたこと
第12章 オースティン作品における察しの悪さについて
第13章 実世界の察しの悪さ
第14章 結びの言葉

 

 

 

 

齋藤桂『1933年を聴く』2017年12月刊|詳細目次へ